アメリカのアフガニスタン侵攻

アフガニスタン戦争

開戦と同時にアフガニスタンに向けて発射されるアメリカ海軍のトマホークミサイル。これが今後20年に亘って続く事になるアフガニスタン戦争の最初の一発となった。
戦争:アフガニスタン戦争
年月日2001年10月7日[1] ~ 同年12月7日[2]
場所アフガニスタン
結果:米英軍と北部同盟の勝利。戦闘2ヶ月でアフガニスタンのターリバーン政権は崩壊[3]
交戦勢力
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
イギリスの旗 イギリス
カナダの旗 カナダ
オーストラリアの旗 オーストラリア
ドイツの旗 ドイツ
ニュージーランドの旗 ニュージーランド
アフガニスタン・イスラム国の旗 北部同盟
アフガニスタン・イスラム首長国の旗 アフガニスタン
アルカーイダの旗 アルカーイダ
指導者・指揮官
アメリカ合衆国の旗 ジョージ・W・ブッシュ
アメリカ合衆国の旗 ディック・チェイニー
アメリカ合衆国の旗 ドナルド・ラムズフェルド
アメリカ合衆国の旗 ポール・ウォルフォウィッツ
アメリカ合衆国の旗 コリン・パウエル
アメリカ合衆国の旗 コンドリーザ・ライス
アメリカ合衆国の旗 トミー・フランクス
イギリスの旗 トニー・ブレア
カナダの旗 ジャン・クレティエン
オーストラリアの旗 ジョン・ハワード
アフガニスタン・イスラム国の旗 ブルハーヌッディーン・ラッバーニー
アフガニスタン・イスラム首長国の旗 ムハンマド・オマル
アフガニスタン・イスラム首長国の旗 アブドゥル・カビール
アフガニスタン・イスラム首長国の旗 ウバイドゥッラー・アフンド
アフガニスタン・イスラム首長国の旗 アブドゥル・ガニ・バラダル
アフガニスタン・イスラム首長国の旗 アフタル・ムハンマド・マンスール
アルカーイダの旗 ウサーマ・ビン・ラーディン
アルカーイダの旗 アイマン・ザワーヒリー
戦力
約5,000人[4] 詳細不明[5]
損害
戦争全体で約2,500人戦死[6] 戦争全体で約53,000人戦死[7]
戦争全体で民間人46,000人犠牲[7]
アフガニスタン紛争 (2001年-2021年)
リスト
    • 不朽の自由
    • クレセント・ウィンド
    • アフガン侵攻
    • ライノー
    • マザーリシャリーフ
    • クンドゥーズ1
    • へラート
    • タリバン政権崩壊
    • タリン・コート
    • カンダハール
    • カラーイバシール
    • トラボラ
    • アナコンダ
    • タクル・ガー
    • ジャカナ作戦
    • マウンテン・バイパー
    • マウンテン・リゾルブ
    • アズベリーパーク
    • レッド・ウィング
    • パース作戦
    • ラシュカガル
    • マウンテン・スラスト
    • ヘルマンド州
    • (サンギン)
    • (ナウザッド)
    • (アキレス)
    • (ピックアックス=ハンドル)
    • (ムサカラ)
    • (ガルムシール)
    • (イーグルス・サミット)
    • (レッドダガー)
    • (ディーゼル)
    • (パンサーズ・クロー)
    • (ストライク・オブ・ザ・ソード)
    • カイカ
    • パンジュワイ
    • メデューサ
    • マウンテン・フューリー
    • ファルコン・サミット
    • フーバー
    • カミン
    • チョーラ
    • ハンマー
    • アナコンダ前線拠点
    • ナスラット
    • ハレカト・ヨロ
    • カレーズ
    • ゴラプライ
    • サルポサ刑務所
    • アルガンダブ
    • ワナト
    • オカブ作戦
    • カカラク
    • シーワン
    • チヌーク撃墜
    • ウズビン
    • バラムルガブ
    • シャーヒタンダル
    • アルザイ
    • チャハルダラ
    • ダヘイナ
    • カムデッシュ
    • 自由の番人
    • クンドゥーズ2
    • クンドゥーズ3
    • カブールテロ事件
    • クンドゥーズ4
    • 病院誤爆
    2021年ターリバーン攻勢
  • 表示

アメリカのアフガニスタン侵攻(アメリカのアフガニスタンしんこう)とは、アメリカ同時多発テロ事件の首謀者である国際テロ組織「アルカーイダ」指導者のウサーマ・ビン・ラーディンを匿っているとして、アメリカアフガニスタンに侵攻し、同国のタリバン政権を崩壊させた事件である。

前史

ソ連のアフガン侵攻とアメリカの支援

詳細は「アフガニスタン紛争 (1978年-1989年)」を参照

冷戦時代の1979年共産主義イスラム教の対立によってソ連・アフガン戦争が勃発し、ソ連軍がアフガニスタンに侵攻。ソ連と対立するアメリカは、ソ連軍と戦うムジャーヒディーンを支援した。結果的にソ連は敗北し、イスラム原理主義組織が勢力を伸ばした[8]

湾岸戦争とイスラム原理主義勢力の反米化

詳細は「湾岸戦争」を参照

1991年湾岸戦争が勃発すると、アメリカを中心とする多国籍軍クウェートに侵攻したイラクを攻撃するためサウジアラビアに駐留した。しかし、「異教徒の軍隊が我が物顔で振る舞っている」として現地のムスリム達の反感を買ってしまう[9]

アメリカ同時多発テロ事件

詳細は「アメリカ同時多発テロ事件」を参照

ムスリム達の反米感情が高まった事によって以前にソ連軍と戦ったイスラム過激派組織も反米化し、ウサーマ・ビン・ラーディン率いる国際テロ組織・アルカーイダ2001年9月11日アメリカ同時多発テロを起こし、3,062人が犠牲となった[10]

タリバン政権と北部同盟

ソ連・アフガン戦争での勝利以来、イスラム原理主義組織は勢力を伸ばし続け、イスラム過激派組織の一つ、タリバン1996年アフガニスタン政権を奪取し、アフガニスタン・イスラム首長国を成立させた。だが、タリバンはアフガンの9割の領土を支配していたが、残りの1割は実効支配できておらず、反タリバン勢力である北部同盟が、その1割を支配していた。

戦争

開戦前夜

同時多発テロ事件で自国民を虐殺されたアメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュテロとの戦いを宣言し、アルカーイダへの反撃を決定。しかし、アフガニスタンタリバン政権がアルカイダの指導者であるビン・ラディンを匿っていた[11]ため、アメリカ政府はタリバン政権に対してビン・ラディンの引き渡しを要求するが、タリバンはこれを拒否した。

開戦

タリバンがビン・ラディンの引き渡しを拒否した事を受けて、アメリカは武力行使を決定し、2001年10月7日にアフガニスタンへの空爆、侵攻を開始。イギリスドイツ集団的自衛権を行使して参戦し[12]、以前からタリバンと対立していた北部同盟も終盤でアメリカ側に加勢した。

戦争の経過

トラボラの戦い

カブールの陥落後、ウサーマ・ビン・ラーディン含むアルカイダのメンバーたちは、都市部を離れてアフガニスタン東部の都市ジャラーラーバードの近くにあるトラボラという地下要塞に避難した。この要塞はかつて対ソ連時に建立されたものでパキスタンの国境地帯にある。アメリカはビン・ラーディンを捕まえるため、トラボラの戦いを開始した。しかし、アメリカはこの地域に派遣可能な兵力が2000人もあったにもかかわらず、リスクを懸念してトラボラの周辺にごく数部隊しか配置しなかった。代わりに、アフガンの民兵にトラボラでの戦闘を任せた。しかしこの民兵は戦意が低く、アルカイダとの闘いに積極的に取り組まなかったため、ビン・ラーディンは国境を越えてパキスタンに逃げることができた。ピーター・バーゲンによると、最初からアメリカが全兵力を投入して、トラボラを包囲していれば、ビン・ラーディンを捕まえることができたと考えられる[13][14]

その後

タリバン政権は崩壊したものの、政権を追われたタリバンは各地でゲリラ戦を展開し、紛争は泥沼化した。その後も紛争は終わらず、20年後の2021年に米軍が完全撤退するとタリバンが大攻勢を仕掛け、政権を奪還[15]。アフガン戦争はタリバンの勝利に終わった。

脚注

  1. ^ “米、アフガン攻撃を開始 タリバーン防空施設を空爆”. 朝日新聞 (2001年10月8日). 2023年2月21日閲覧。
  2. ^ “タリバーン全面投降、組織壊滅へ”. 朝日新聞 (2001年12月7日). 2023年2月21日閲覧。
  3. ^ 『アフガニスタン―戦乱の現代史』渡辺光一、2003年3月20日、202-204頁。 
  4. ^ “アフガニスタン概況”. 外務省 (2003年2月20日). 2023年2月21日閲覧。
  5. ^ “アフガニスタン”. 外務省 (2001年4月2日). 2023年2月21日閲覧。
  6. ^ “アフガニスタン戦争”. 日本経済新聞 (2021年10月1日). 2023年2月21日閲覧。
  7. ^ a b “20年間のアフガン戦争で市民4万6000人が死亡…米軍の空爆強化で巻き添えや誤爆増加、今後も犠牲拡大の懸念”. 東京新聞 (2021年9月29日). 2023年2月21日閲覧。
  8. ^ “出典”. 東洋経済 (2021年8月20日). 2021年11月6日閲覧。
  9. ^ “出典”. NHK (2021年3月24日). 2021年11月6日閲覧。
  10. ^ “出典”. 外務省 (2002年5月). 2021年11月6日閲覧。
  11. ^ “出典”. 公安調査庁. 2021年11月6日閲覧。
  12. ^ “出典”. 小林よしのり (2015年7月21日). 2021年11月6日閲覧。
  13. ^ マルキャシアン, カーター (2021) (英語). The American War in Afghanistan: A History. オックスフォード大学出版局. pp. 76-78. ISBN 978-0-19-755077-9. https://books.google.com/books?id=VPQuEAAAQBAJ 
  14. ^ バーゲン, ピーター (2011年6月28日) (英語). The Longest War: The Enduring Conflict between America and Al-Qaeda (Reprint ed.). Free Press. pp. 71-82. ISBN 978-0-7432-7894-2 
  15. ^ “出典”. 日本テレビ (2021年8月16日). 2021年11月6日閲覧。

関連項目

軍事衝突
不朽の自由作戦
その他
テロ攻撃
2001年 - 2004年
2005年 - 2008年
2008年 - 2014年
2015年 - 2016年
2017年 -
作戦の参加者
アフガニスタン侵攻
イラク戦争
ワジリスタン紛争
レバノン侵攻
シリア内戦
作戦の標的
関連項目
カテゴリ カテゴリ
アメリカ合衆国 アメリカ合衆国が参加した戦争
国内戦争
国際戦争
戦争計画
軍事演習
関連項目
カテゴリ カテゴリ
冷戦後のアジアの紛争
南アジア
東アジア
東南アジア
中央アジア
西アジア
(南コーカサスを除く)
イラク
  • イラク・クルド紛争 (1918-2003)(en)
    • クルド内戦 (1994-97)(en)
  • クルド・イスラム主義紛争 (2001-03)(en)
  • イラク戦争 (2003-2011)
  • イラクの反乱 (2011-13)(en)
  • イラク内戦 (2014-17)(en)
  • イラクの反乱 (2017-現在)(en)
イスラエル
イエメン
  • イエメン内戦 (1994)
  • アルカイダによる反乱 (1998-2015)(en)
  • ハウチ派の反乱 (2004-15)(en)
  • 南イエメンの反乱 (2009-15)(en)
  • イエメン騒乱 (2011)
  • フーシ派クーデター (2014-15)(en)
  • イエメン内戦 (2015)
トルコ
  • 政治的暴力 (1976-80)(en)
  • 毛沢東主義の反乱(en)
  • 革命的人民解放党・戦線の反乱(en)
  • トルコ・クルド紛争
  • トルコとISILの対立(en)
その他
  • イランのクルド人分離(en)
    • KDPIの反乱 (1989-96)(en)
    • イランとペジャークの対立 (2004-現在)(en)
  • シナイの反乱 (2011-現在)(en)
  • バーレーン騒乱 (2011)
  • シリア内戦 (2011-現在)
    • シリア内戦の波及(en)
  • イラン西部の衝突 (2016-現在)(en)
関連トピック