アリスター・ダーリング

アリスター・ダーリング
Alistair Maclean Darling
生年月日 (1953-11-28) 1953年11月28日
出生地 イギリスの旗 イギリスロンドン
没年月日 (2023-11-30) 2023年11月30日(70歳没)
死没地 イギリスの旗 イギリスエディンバラ
出身校 アバディーン大学
所属政党 労働党
選挙区 南西エディンバラ選挙区
在任期間 1987年6月17日 - 2015年3月30日

イギリスの旗 財務大臣
内閣 ブラウン内閣
ブラウン第1次改造内閣
ブラウン第2次改造内閣
ブラウン第3次改造内閣
在任期間 2007年6月28日 - 2010年5月11日

イギリスの旗 貿易・産業大臣
内閣 第3次ブレア改造内閣
在任期間 2006年5月5日 - 2007年6月27日

内閣 第2次ブレア内閣
第3次ブレア内閣
在任期間 2003年6月13日 - 2006年5月5日

イギリスの旗 運輸大臣
内閣 第2次ブレア内閣
第3次ブレア内閣
在任期間 2002年5月29日 - 2006年5月5日

その他の職歴
イギリスの旗 社会保障大臣
雇用・年金大臣(役職名変更)

1998年7月27日 - 2002年5月29日
イギリスの旗 財務省主席担当官
1997年5月3日 - 1998年7月27日)
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アリスター・マクリーン・ダーリングAlistair Maclean Darling, PC1953年11月28日 - 2023年11月30日)は、イギリス政治家。労働党所属の庶民院議員。ブラウン内閣で財務大臣、第二大蔵卿を務めた。

一部では、アリステア・ダーリングの表記も用いられる。

経歴

生い立ち

1953年11月28日、エンジニアの父・トーマスと母アンナのもとでロンドンで生まれる[1]。彼の大叔父ウィリアム・ダーリング(英語版)1945年から1957年の間、エディンバラ南選挙区選出の保守党議員だった。アバディーン大学では法学を専攻、学生組合の委員長も務めた。1978年事務弁護士となる。後にスコットランド人向けの弁護を受け持つようになり、1984年には法廷弁護士に認められた。1982年にはロージアンの地方議員にもなった。また、1985年からの2年間、ネイピア大学(英語版)の理事も務めている。

国政へ

1987年の総選挙エディンバラ中央選挙区から出馬。同選挙区選出の保守党議員、サー・アレグザンダー・フレッチャー(英語版)を破り当選を果たした。なお、後にスコットランド議会が設置されると、スコットランド地区からの庶民院議席数は削減されてしまう。そのため、ダーリングは2005年の総選挙からはエディンバラ南西選挙区から出馬することになる。労働党の重鎮、副党首のジョン・プレスコットゴードン・ブラウンはダーリングが落選することを心配し、選挙区入りして彼を応援した。当時は彼自身閣僚であったにもかかわらず、かなりの苦戦が予想されたが、彼は最大限の努力の結果、議席を守り抜いた。

庶民院議員として、1998年スコットランド法に関わる[2]。後に影の内閣で内務省のスポークスマンとなった。

1992年の総選挙の後は大蔵省の影のスポークスマンとなった。1996年、労働党党首にトニー・ブレアが就任すると、ダーリングは影の内閣で財務省主席担当官となる。

ブレア政権時代

1997年の総選挙で労働党が勝利し与党になると、かれは財務省主席担当官(英語版)として正式に閣僚入りした。なお、この頃から閣内にいるのは、現時点[いつ?]ジャック・ストローゴードン・ブラウンとダーリングの3人のみである。

1998年、更迭されたハリエット・ハーマンに代わり社会保障大臣に任命される。2001年の総選挙後は、社会保障省は廃止され、新しいに改編されたため、彼の肩書きも労働および年金大臣に変更となる。

スティーヴン・バイヤーズ(英語版)が運輸大臣を辞任すると、ダーリングはその後任に任命される。この時代、レールトラックの後継組織・ネットワーク・レールの設立を監督した。2003年には、スコットランド大臣との兼任となった。相次ぐ列車事故などで批判に晒されていた運輸省であったが、ダーリングの大臣就任と共に批判は静まった。2006年の内閣改造では、貿易および産業大臣に異動になる。

ブラウン政権時代およびその後

2007年6月、新たに首相に選出されたゴードン・ブラウンの下で財務大臣に任命され、彼の昇進はメディアを大きく賑わせた。ダーリングの下で働く4人の政務次官(日本の副大臣に相当)のうち3人(アンジェラ・イーグル(英語版)ジェーン・ケネディ(英語版)キティ・アッシャー(英語版))が女性であったことから、彼女達は大臣の名前とかけて"ダーリングのダーリン"と呼ばれた[3]。財務大臣に就任してからは、もっぱらサブプライム問題の対応に追われることになる。

2023年11月30日にエディンバラの病院でがんとの闘病の末に死去。70歳没[4]

人物

  • ダーリングは1986年、元ジャーナリストのマーガレット・マックイーン・ボーガンと結婚した。1988年には息子のカラム、90年には娘のアンナを授かっている。ダーリングは1970年代にも一度結婚歴がある。
  • 彼の自宅はエディンバラのモーニングサイド地区にあり、『ハリー・ポッター』シリーズの作者、J・K・ローリングと同じ通りの住人でもある。
  • ピンク・フロイドコールドプレイレナード・コーエンのファンでもある[5]
  • 彼は「イギリスで最も退屈な政治家」に2年連続で選ばれており、報道陣の間では「ダーリングは(白髪と黒の眉のコントラストが)アナグマに似ている」というジョークが有名である。
  • かつては髭をはやしていたが、「ニュー・レーバー(新しい労働党)のイメージに合わない」との理由から剃らされたという噂がある。
  • ダーリングは同じくスコットランド出身のブラウンと盟友関係にあり、忠実なブラウン派とされている。

出典

  1. ^ Darling, Alistair guardian.co.uk
  2. ^ Solicitors (Scotland) Act 1988 (c. 42)
  3. ^ Simon Hoggart's sketch: Darling, you're so dreary The Guardian
  4. ^ “Former UK finance minister Alistair Darling dies aged 70: family” (英語). Digital Journal (2023年11月30日). 2023年11月30日閲覧。
  5. ^ Alistair Darling: The man who stepped into limelight on the darkest of all Mondays Times Online

外部リンク

  • 10 Downing Street - official profile
  • Guardian profile
  • TheyWorkForYou.com - profile as MP including voting patterns
  • Times profile
  • BBC profile
  • BBC information as an MP
公職
先代
ウィリアム・ウォルドグレーブ(英語版)
財務省主席担当官
1997年 - 1998年
次代
スティーヴン・バイヤーズ
先代
ハリエット・ハーマン
社会保障大臣
雇用・年金大臣

1998年 - 2001年
2001年 - 2002年
次代
アンドルー・スミス(英語版)
先代
スティーヴン・バイヤーズ
運輸大臣
2002年 - 2006年
次代
ダグラス・アレクサンダー
先代
ヘレン・リデル(英語版)
スコットランド大臣
2003年 - 2006年
先代
アラン・ジョンソン
貿易・産業大臣
2006年 - 2007年
次代
ジョン・ハットン
先代
ゴードン・ブラウン
財務大臣
2007年 - 2010年
次代
ジョージ・オズボーン
イギリスの旗 イギリスの財務大臣
イングランド
  • ユースタス・オブ・ファーコンバーグ(英語版)1221頃-?
  • マンセル(英語版)1234頃-?
  • レスター1248以前
  • ウェストミンスター1248-?
  • フィスキャンプ1263以前
  • チスハル(英語版)1263-1265
  • W.ジフォード(英語版)1265-1266
  • G.ジフォード(英語版)1266-1268
  • チスハル(英語版)1268-1269
  • ミドルトン(英語版)1269-1272
  • ド・レ・レイエ1283以前
  • ニューバンド1283以前
  • ウィロウビー(英語版)1283-1305
  • ベンスティディ(英語版)1305-1306
  • サンデール(英語版)1307-1308
  • マーケンフィールド1309-1312
  • ホーサム(英語版)1312-1316
  • スタントン(英語版)1316-1323頃
  • ステープルドン(英語版)1323-1324頃
  • スタントン(英語版)1324-1327
  • ハーヴィントン(英語版)1327-1330
  • ウッドハウス(英語版)1330-1331
  • ストラトフォード(英語版)1331-1334
  • ヒルデスリー1338頃-?
  • エヴァードン1341-?
  • アスケビー1363-?
  • アシュトン(英語版)1375-1377
  • バーナム1377-1399
  • ソマー(英語版)1410-1437
  • サマセット(英語版)1441-1447
  • ブラウン(英語版)1440頃-1450頃
  • ウィザム(英語版)1454-?
  • ファウラー(英語版)1469-1471
  • スウェイツ(英語版)1471-1483
  • ケイツビー(英語版)1483-1484頃
  • ラベル(英語版)1485-1524
  • バーナーズ男爵(英語版)1524-1533頃
  • エセックス伯爵1533-1540
  • ベイカー(英語版)1545-1558
  • サックヴィル(英語版)1559-1566
  • マイルドメイ(英語版)1566-1589
  • フォーテスキュー(英語版)1589-1603
  • ダンバー伯爵(英語版)1603-1606
  • シーザー(英語版)1606-1614
  • グランヴィル(英語版)1614-1621
  • ウェストン(英語版)1621-1628
  • バレット卿(英語版)1628-1629
  • コティントン男爵(英語版)1629-1642
  • カルペパー(英語版)1642-1643
  • ハイド1643-1646
  • 空位期(英語版)1646-1660
  • ハイド1660-1661
  • アシュリー男爵1661-1672
  • ダンクーム1672-1676
  • アーンリ(英語版)1676-1689
  • デラマー男爵(英語版)1689-1690
  • ハムデン(英語版)1690-1694
  • モンタギュー1694-1699
  • スミス1699-1701
  • ボイル1701-1708
グレートブリテン
  • ボイル1708-1710
  • スミス1708-1710
  • ハーレー1710-1711
  • ベンソン1711-1713
  • ウィンダム1713-1714
  • オンズロー1714-1715
  • ウォルポール1715-1717
  • スタンホープ伯爵1717-1718
  • エイズラビー1718-1721
  • プラット(代理)1721
  • ウォルポール1721-1742
  • サンズ1742-1743
  • ペラム1743-1754
  • リー(代理)1754
  • ビルソン=レッグ1754-1755
  • リトルトン1755-1756
  • ビルソン=レッグ1756-1757
  • マンスフィールド男爵(英語版)1757
  • ビルソン=レッグ1757-1761
  • バリントン子爵1761-1762
  • ル・ディスペンサー男爵1762-1763
  • グレンヴィル1763-1765
  • ダズウェル(英語版)1765-1766
  • タウンゼンド1766-1767
  • ノース卿1767-1782
  • キャヴェンディッシュ(英語版)1782
  • 小ピット1782-1783
  • キャヴェンディッシュ(英語版)1783
  • 小ピット1783-1801
  • アディントン1801-1804
  • 小ピット1804-1806
  • エレンバラ男爵(英語版)(代理)1806
  • ペティ=フィッツモーリス1806-1807
  • パーシヴァル1807-1812
  • ヴァンシッタート(英語版)1812-1817
連合王国
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