アンドレイ坂

アンドレイ坂
Андріївський узвіз
聖アンドレイ教会とアンドレイ坂
北緯50度27分35.3秒 東経30度30分58.1秒 / 北緯50.459806度 東経30.516139度 / 50.459806; 30.516139座標: 北緯50度27分35.3秒 東経30度30分58.1秒 / 北緯50.459806度 東経30.516139度 / 50.459806; 30.516139
南端聖アンドレイ教会前
主な交差点ボリチフ・ティク通り
ヴォズドヴィジェンスカ通り
北端コントラクトヴァ広場前

アンドレイ坂(アンドレイざか、アンドリー坂、アンドレーエフ坂、アンドリーフスキー坂、アンドリーフシカ坂、アンドリイフスキ・ウズウィズ、ウクライナ語: Андріївський узвіз: Андреевский спускラテン文字転写の例: Andriyivs'kyi uzviz、: Andrew's Descent)は、ウクライナキーウにある街路[1]。全長は約750メートルであり、高低差は約70メートルである[1][2]

概要

キーウの観光地の1つに数えられ、みやげ物店、アンティークショップ、アートギャラリーなどが軒を連ねている[3][4][1]。「キーウのモンマルトル」という異称をもつ[5]。路面には石畳が敷設されている[6]。最寄り駅はコントラクトヴァ広場駅(ウクライナ語版、英語版)である[4]

路面に敷かれた石畳

坂は、古キエフ古キエフ山にある聖アンドレイ教会の前付近から始まり、ポディールコントラクトヴァ広場(ウクライナ語版、英語版)の前付近まで伸びている[3][2][1][4]。通りは、城山とアンドリーフシカ山(ウクライナ語版、ロシア語版)間を通過している[1][2]。大部分はポディール地区(ウクライナ語版、英語版)に属するが、南端部はシェフチェンキフスキー地区(ウクライナ語版、英語版)に属している[1]

南端でデシャティンナ通り(ウクライナ語版)およびウラジーミル通り(ウクライナ語版、英語版)と接続し、北端でポクロフスカ通り(ウクライナ語版)と接続している[5][2]。北部でボリチフ・ティク通り(ウクライナ語版)と交差し、中ほどでヴォズドヴィジェンスカ通り(ウクライナ語版)と交差している[5][7]

来歴

1711年、荷馬車が通行できる道路として整備された[1]。もともと平屋建てや2階建ての木造家屋が多く立ち並んでいたが、18世紀の半ばに聖アンドレイ教会が建造されて以降、大規模な集合住宅や洗練された邸宅が目立つようになった[1][2]。1904年、リチャード獅子心王の城(ウクライナ語版、ドイツ語版)が完成される[8]。1980年代の初頭に通りの再開発事業が開始される。1981年から1983年にかけて、建物の再建工事やランタンの設置工事が実施された他、石畳を敷設する工事が行われた。設計は建築家のアブラハム・ミレツキー(ウクライナ語版、ロシア語版)、D・ヴォロノフ(ウクライナ語: Д. Воронов)、L・ガラーニナ(ウクライナ語: Л. Гараніна)およびO・コレスニコフ(ウクライナ語: О. Колесников)らによる。1982年はキーウ創建1500周年に当たり、記念事業の一環として補修工事や造園工事が実施された[1]。1991年、ブルガーコフ文学記念博物館(ウクライナ語版、英語版)が開館される[9]

名称

この坂は古来より、ボリチフ坂(ウクライナ語: Боричів узвіз)と呼ばれていた[10]。アンドレイ坂という名称は、聖アンドレイ教会が建造された際に同教会の名称から付けられた[11]。1920年から1944年までは、ボリシェヴィキの革命家ヘオルヒー・リバー(ウクライナ語版)にちなんでH・リバー坂(ウクライナ語: Узвіз Г. Лівера)と呼ばれていた[1][10]。1944年以降、現在の名称で呼ばれている[10]

見どころ

聖アンドレイ教会

聖アンドレイ教会
詳細は「聖アンドレイ教会」を参照

アンドレイ坂やポディールを見下ろすアンドリーフシカ山にあるバロック様式教会[12][13]。23番地にある[12]。設計はイタリア人建築家バルトロメオ・ラストレッリによる[13]。当時のロシア皇帝エリザヴェータの命令によって18世紀の半ばに建造された[13]。建設場所が複雑な地形であることなどから、建設工事はおよそ四半世紀にわたった。1751年に大部分が完成され、1753年まで内装工事や塗装工事が行われた[13]。長さは31.7メートル、幅は20.4メートル、高さは50メートルである[14]。再建工事や修繕は、1771年、1785年から1786年までと、1825年から1828年までおよび1949年から1954年までの期間に行われた[13]

ブルガーコフ文学記念博物館

ブルガーコフ文学記念博物館
詳細は「ブルガーコフ文学記念博物館(ウクライナ語版、英語版)」を参照

建築家ミコーラ・ゴーデニン(ウクライナ語版、ロシア語版)によって1888年に建てられ、キーウ出身の作家ミハイル・ブルガーコフが1906年から1916年にかけてと1918年から1919年にかけて家族と居住していた家を博物館としたものである[15][1][3][12]。13A番地にある[16]。この博物館は1989年にキーウ市議会の決定によって設立され、1991年5月15日にブルガーコフの生誕100周年を記念して開館された[15][9]。ブルガーコフは自伝的長編小説『白衛軍(ウクライナ語版、英語版)』およびこれを戯曲化した『トゥルビン家の日々(英語版、ロシア語版)』において、キーウのトゥルビン家の兄弟やその仲間がロシア内戦に翻弄される様子を描いているが、トゥルビン家の住まいは、実際にブルガーコフが居住していた、アンドレイ坂のこの家がモデルとなっており、坂は作中では「アレクセイ坂」となっている[17][15]

とある街路の博物館

とある街路の博物館
詳細は「とある街路の博物館(ウクライナ語版、英語版)」を参照

アンドレイ坂の歴史をテーマにした博物館[18]。2B番地にある[19]。アンドレイ坂に昔からある建物や家屋から収集された骨とう品や家具、工芸品やポストカード、衣服や歴史的文書などを所蔵・展示している[20][19]。ブルガーコフ家の紹介も行っている[21]。2002年には、欧州評議会の下部組織であり、当時のベルギー王妃ファビオラ・デ・モラ・イ・アラゴンが後援していたヨーロッパ博物館フォーラム(英語版)から推薦を受けている[18]

リチャード獅子心王の城

リチャード獅子心王の城
詳細は「リチャード獅子心王の城(ウクライナ語版、ドイツ語版)」を参照

15番地にあるゴシック・リヴァイヴァル様式の建物[12][22]。1902年に着工された[12]。1904年3月24日、建設工事がほぼ完成されるという段階で、労働者の過失によって建設現場で大規模な火災が発生した。建設工事はその年のうちに完成された[8][12][22]。リチャード獅子心王の城という名称は、ソビエト連邦の小説家ヴィクトル・ネクラーソフによって付けられた[22]。イングランド王のリチャード1世とは関係はない[22]。1911年に殺害された実業家、ドミトリー・オルロフ(ウクライナ語: Дмитрий Орлов)によって建設されたとされる[8]。1905年から1906年にかけて、雑誌の編集局が置かれていた[8]

ゆかりのある人物

アンドレイ坂に住んでいた著名人には、作曲家のアレクサンダー・コシツェ(ウクライナ語版、英語版)、文芸評論家のパヴロ・ザイツェフ(ウクライナ語版、ロシア語版)、教会史家のステパン・ゴルベフ(ウクライナ語版、ロシア語版)、科学者のテウフィーク・ケズマ(ウクライナ語版)、歴史家で神学者のニコライ・サガルダ(ウクライナ語版、ロシア語版)、歴史家のアレクサンドル・オグロブリン(ウクライナ語版、英語版)、哲学者のシルベスター・ゴゴツキー(ウクライナ語版、ロシア語版)などがいる[1]。アンドレイ坂に作業場を置いていた著名人には、画家のフォーティ・クラシツキー(ウクライナ語版、ロシア語版)、画家のイヴァン・マクシェンコ(ウクライナ語版、ロシア語版)、彫刻家で映画監督のイヴァン・カヴァレリゼ(ウクライナ語版、英語版)などがいる[1]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m “Андріївський узвіз”. Велика Українська Енциклопедія (2021年2月11日). 2022年2月5日閲覧。
  2. ^ a b c d e “Андріївський узвіз”. Інститут енциклопедичних досліджень НАН України. 2022年2月5日閲覧。
  3. ^ a b c “キエフ案内”. 在ウクライナ日本国大使館 (2021年8月). 2022年2月5日閲覧。
  4. ^ a b c Hardaway 2011, p. 78.
  5. ^ a b c “Історична Довідка”. Подільська районна в місті Києві державна адміністрація. 2022年2月5日閲覧。
  6. ^ “Андріївський узвіз як машина часу. Фоторепортаж”. Укрінформ. (2013年9月10日). https://www.ukrinform.ua/rubric-other_news/1544515-andriiivskiy_uzviz_yak_mashina_chasu_fotoreportag_1862072.html 2022年2月5日閲覧。 
  7. ^ “КИЇВ САМОБУТНІЙ - МІСЬКИЙ ПРОЕКТ”. Департаменту містобудування та архітектури Київської міської державної адміністрації. 2022年2月5日閲覧。
  8. ^ a b c d Олексій Нестеренко (2021年8月18日). “Замок Ричарда в Киеве: чем он примечателен и почему его считают мистическим, - ФОТО”. 44.ua. https://www.44.ua/news/3182330/zamok-ricarda-v-kieve-cem-on-primecatelen-i-pocemu-ego-scitaut-misticeskim-foto 2022年2月5日閲覧。 
  9. ^ a b “ІСТОРІЯ МУЗЕЮ”. Музей Міхаїла Булгакова. 2022年2月5日閲覧。
  10. ^ a b c Dehtyarova 2010, p. 36.
  11. ^ “У рамках програми «Пізнай свій край» почав діяти Клуб вихідного дня студентів КУП НАНУ”. Київський університет права. 2022年2月5日閲覧。
  12. ^ a b c d e f Hardaway 2011, p. 79.
  13. ^ a b c d e “Андріївська церква”. Велика Українська Енциклопедія (2020年7月7日). 2022年2月5日閲覧。
  14. ^ “Андріївська церква”. Інститут енциклопедичних досліджень НАН України. 2022年2月5日閲覧。
  15. ^ a b c “Містерія Михайла Булгакова - книжковий натюрморт до 130-річчя від народження”. Наукова бібліотека СумДПУ імені А. С. Макаренка. 2022年2月5日閲覧。
  16. ^ “ВІДВІДУВАЧАМ”. Музей Міхаїла Булгакова. 2022年2月5日閲覧。
  17. ^ 大森 2017, p. 15.
  18. ^ a b “Через ремонт узвозу відвідувачі не можуть потрапити до Музею однієї вулиці”. Gazeta.ua. (2012年5月4日). https://gazeta.ua/articles/culture/_cerez-remont-uzvozu-vidviduvachi-ne-mozhut-potrapiti-do-muzeyu-odniyeyi-vulici-/434421 2022年2月5日閲覧。 
  19. ^ a b Hardaway 2011, p. 80.
  20. ^ “About Museum”. One Street Museum. 2022年2月5日閲覧。
  21. ^ “Museum of One Street”. Lonely Planet. 2022年2月5日閲覧。
  22. ^ a b c d “The Castle of Richard the Lionheart”. Discover Ukraine. 2022年2月5日閲覧。

参考文献

  • Ashley Hardaway (2011). Ukraine. Other Places Publishing. ISBN 978-1-93585004-5. https://books.google.com/books?id=gOSwvfCKYVkC 
  • N. A. Dehtyarova (2010). Історія міста Києва з найдавніших часів до 2000 року. Institute of History of Ukraine. ISBN 978-966-02-5214-1. https://shron3.chtyvo.org.ua/Smolii_Valerii/Istoriia_mista_Kyieva_z_naidavnishykh_chasiv_do_2000_roku_Tom_2_Khronolohichnyi_litopys_mista_Kyieva_Knyha_8_Raiony_ta_vulytsi.pdf 
  • 大森雅子 (2017-12-31). “ミハイル・ブルガーコフの「まち」 ―作家の原点としてのキエフ―”. 国際シンポジウム「文化の汽水域 : 東スラヴ世界の文化的諸相をめぐって」報告集 (東京外国語大学 沼野恭子研究室): 14-26. doi:10.15026/93176. NAID 120006705869. https://hdl.handle.net/10108/93176.