アンリ・ラ・フォンテーヌ

Henri Marie La Fontaine
アンリ・ラ・フォンテーヌ
生誕 Henri Marie La Fontaine
(1854-04-22) 1854年4月22日
ベルギーの旗 ベルギー ブリュッセル
死没 1943年5月14日(1943-05-14)(89歳)
ベルギーの旗 ベルギー ブリュッセル
国籍 ベルギーの旗 ベルギー
職業 法律家
著名な実績 ノーベル平和賞(1913)
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ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:1913年
受賞部門:ノーベル平和賞
受賞理由:国際平和ビューローの代表者として

アンリ=マリー・ラ・フォンテーヌ(Henri-Marie La Fontaine、1854年4月22日 - 1943年5月14日)は、ベルギー出身の国際弁護士。1907年から1943年まで国際平和ビューローの事務局長を務めた。1913年にノーベル平和賞を受賞した。

来歴・人物

ブリュッセル自由大学で法律を学んだ後、1877年に法廷弁護士となり、国際法の権威としての名声を確立した。1893年、ブリュッセル自由大学の国際法の教授に就任。1895年、ベルギー労働党から上院に当選した。1919年から1932年にかけては上院副議長を務めた。

1882年に設立された常設国際平和局に対してラ・フォンテーヌは早くから興味を持っており、常設国際平和局がハーグ陸戦条約の締結に関わるきっかけを作った。彼自身もベルギーの代表として1919年のパリ講和会議や1920年 - 1921年の国際連盟総会に出席した。また世界平和実現のため世界知識人センター(Centre Intellectuel Mondial)を設立(のちに国際連盟の知的協力機関(League of Nations Institute for Intellectual Co-operation)に併合)し、世界学校や世界大学、世界議会、国際裁判所などの組織を提案した。またポール・オトレと協力して国際書誌学研究所(Institut International de Bibliographie)を設立した(国際情報ドキュメンテーション連盟(英語版)の前身)。

ラ・フォンテーヌは法律のハンドブックを数多く著しており、また国際調停の歴史についての大著を書いている。雑誌La Vie Internationaleの創刊者でもあった。さらにフリーメイソンの一員であった。

アンリ・デュナン / フレデリック・パシー (1901)  - シャルル・ゴバ / エリー・デュコマン (1902)  - ウィリアム・ランダル・クリーマー (1903)  - 万国国際法学会 (1904)  - ベルタ・フォン・ズットナー (1905)  - セオドア・ルーズベルト (1906)  - エルネスト・テオドロ・モネータ / ルイ・ルノー (1907)  - フレデリック・バイエル / ポントゥス・アルノルドソン (1908)  - エストゥールネル・ド・コンスタン / オーギュスト・ベールナールト (1909)  - 国際平和ビューロー (1910)  - トビアス・アッセル / アルフレート・フリート (1911)  - エリフ・ルート (1912)  - アンリ・ラ・フォンテーヌ (1913)  - 赤十字国際委員会 (1917)  - ウッドロウ・ウィルソン (1919)  - レオン・ブルジョワ (1920)  - カール・ヤルマール・ブランティング / クリスティアン・ランゲ (1921)  - フリチョフ・ナンセン (1922)  - チャールズ・ドーズ / オースティン・チェンバレン (1925)

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