エドマンド2世 (イングランド王)

エドマンド剛勇王
 : Edmund Ironside
14世紀初期に描かれたエドマンド剛勇王の肖像画

先代 エゼルレッド無策王[1]
次代 クヌート大王[1]

出生 990年[1]
イングランド
死亡 1016年11月30日
享年25-26歳[1]
イングランド
オックスフォード 又は ロンドン
埋葬 グランストンベリー修道院(英語版)
王室 ウェセックス家
父親 エゼルレッド無策王
母親 エルフギフ・オブ・ヨーク(英語版)
配偶者 アルドギース(英語版)
子女
エドワード・アシリング
エドマンド・アシリング
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エドマンド2世(18世紀の架空の肖像画)

エドマンド剛勇王(エドマンドごうゆうおう)ことエドマンド2世(エドマンド2せい、Edmund II, 988年/993年頃 - 1016年11月30日)は、イングランド王(在位:1016年4月23日 - 1016年11月30日)。「剛勇王(Ironside)」という異名はクヌート(後のデンマーク王クヌーズ2世)率いるデンマーク軍の侵略に立ち向かった奮闘ぶりから名付けられたもの。

生涯

エゼルレッド2世とその最初の妻エルギフの次男。兄にエセルスタン(Æthelstan)、弟にエアドレッド、エグバート、エドワード懺悔王がいた。996年にエルギフが亡くなると、父親はエマ・オブ・ノーマンディーと再婚した。

1014年にエセルスタンが亡くなって、エドマンドが王位継承者となった。そこからエドマンドと父王の権力闘争が始まり、1015年にはエドマンドの2人の盟友、SigeferthとMorcarがエゼルレッド2世によって処刑された。エドマンドはSigeferthの未亡人だったエディス・オブ・イースト・アングリア(Edith of East Anglia, またはÆldgyth)を幽閉されていた修道院から出し、父親の反対に逆らって結婚した。その間、クヌートが軍勢を率いてイングランドに侵略してきた。1016年、エドマンドはノーサンブリア伯Uhtredと共に反乱を起こしたが、Uhtredがエドマンドを捨て、クヌートに屈したため、エドマンドは父親と和解した。

しかしエゼルレッド2世は以前から体を害していて、その年の4月23日に亡くなった。エドマンドはイングランド王に即位し、死力を尽くしてイングランド防衛に奮戦した。デンマーク軍がロンドンを包囲した時、エドマンド2世はウェセックスに行き、兵を募った。デンマーク軍がエドマンドを追って来たが、エドマンド2世はそれと戦い、さらにデンマーク軍のロンドン包囲を解き、繰り返しクヌートに勝利した。しかし10月8日エセックスのAssandunの戦い(Battle of Assandun。Ashingdonの戦いとも言われるが現在の場所について諸説ある)でエドマンド2世は決定的な敗北を喫した。戦いの後、両王は和平交渉をし、エドマンド2世がウェセックスを、クヌートはテムズ川の北を領有することになった。同時に、どちらかが死んだ時は、死んだ方の領土を生きている方に譲るということにもお互いが同意した[2]

1016年11月30日、エドマンド2世はオックスフォードあるいはロンドンで亡くなった。エドマンド2世の領土はクヌートに譲られ、クヌートはイングランド王になった。エドマンド2世の死の原因についてははっきりしないが、自然死説が挙げられる一方で[3]、暗殺説の可能性も指摘されている[4]。エドマンドの遺体はサマセットのグラストンベリー修道院に埋葬された。しかし、その場所は現在不明である。修道院解散の間に、記念碑か聖堂地下室の跡が破壊され、遺体の場所もわからないままである。

子孫

王妃エディスの間には幼い2人の子供がいた。エドワードとエドマンドで、2人ともクヌート王によってスウェーデンに送られた。殺すためだったが、エドワードはそこからキエフに、それからハンガリーに亡命した。孫でエドワードの娘マーガレットスコットランド王マルカム3世と結婚、間に生まれた娘マティルダノルマン朝のイングランド王ヘンリー1世の妃としてモードを産む。モードはフランス王国の貴族アンジュー伯ジョフロワ4世に嫁ぎ、そこに生まれたアンリはプランタジネット朝アンジュー帝国)の初代国王ヘンリー2世としてイングランド王国で君臨する。

戯曲化

エドマンド剛勇王』という作者不詳の戯曲がある。ウィリアム・シェイクスピアが作者だという説があり、シェイクスピア外典に含まれている[5]が、その説はシェイクスピア研究者には一般的に受け入れられていない[6]

参考文献

  • Anglo-Saxon Chronicle
  • Clemoes, Peter. The Anglo-Saxons: Studies Presented to Bruce Dickins, 1959
  • The History Channel - England history to 1485

脚注

  1. ^ a b c d Weir, Alison (1989). Britain's Royal Families. Vintage. p. 28. ISBN 9780099539735 
  2. ^ Outline of the reign of Edmund II 'Ironside'
  3. ^ Encyclopedia Britannica entry on Edmund II
  4. ^ The History of the Anglo-Saxons from the Earliest Period to the Norman Conquest By Sharon Turner
  5. ^ Eric Sams. (1986). Shakespeare's "Edmund Ironside": The Lost Play. Wildwood Ho. ISBN 0-7045-0547-9
  6. ^ Two Tough Nuts to Crack: Did Shakespeare Write the Shakespeare Portions of Sir Thomas More and Edward III? By Ward E. Y. Elliott and Robert J. Valenza, Claremont McKenna College.

関連項目

ウィキメディア・コモンズには、エドマンド2世 (イングランド王)に関連するカテゴリがあります。
ウェセックス朝
デーン朝
  • スヴェン1013-1014
ウェセックス朝
  • エゼルレッド2世1014-1016
  • エドマンド2世1016
デーン朝
ウェセックス朝
ノルマン朝
  • ウィリアム1世1066-1087
  • ウィリアム2世1087-1100
  • ヘンリー1世1100-1135
  • マティルダ(イングランド人の女君主)1141-1148
ブロワ朝
  • スティーヴン1135-1154
プランタジネット朝
  • ヘンリー2世1154-1189
  • 若ヘンリー(共同王)1170-1183
  • リチャード1世1189-1199
  • ジョン1199-1216
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  • エドワード1世1272-1307
  • エドワード2世1307-1327
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  • リチャード2世1377-1399
ランカスター朝
  • ヘンリー4世1399-1413
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ヨーク朝
  • エドワード4世1461-1470
ランカスター朝
  • ヘンリー6世(復位)1470-1471
ヨーク朝
  • エドワード4世(復位)1471-1483
  • エドワード5世1483
  • リチャード3世1483-1485
テューダー朝
  • ヘンリー7世1485-1509
  • ヘンリー8世1509-1547
  • エドワード6世1547-1553
  • ジェーン・グレイ1553
  • メアリー1世1553-1558
  • フィリップ(共同王)1554-1558
  • エリザベス1世1558-1603
ステュアート朝
  • ジェームズ1世1603-1625
  • チャールズ1世1625-1649
  • チャールズ2世1660-1685
  • ジェームズ2世1685-1688
  • メアリー2世1689-1694
  • ウィリアム3世1689-1702
  • アン1702-1707
1707年スコットランド王国と合同してグレートブリテン王国が成立、アンはグレートブリテン女王として1714年まで在位。
1603年までのイングランド君主1603年までのスコットランド君主
  • アルフレッド大王871-899
  • エドワード長兄王899-924
  • アゼルスタン924-939
  • エドマンド1世939-946
  • エドレッド946-955
  • エドウィ955-959
  • エドガー959-975
  • エドワード殉教王975-978
  • エゼルレッド2世978-1013
  • スヴェン1013-1014
  • エゼルレッド2世1014-1016
  • エドマンド2世1016
  • クヌート大王1016-1035
  • ハロルド1世1035-1040
  • ハーディカヌート1040-1042
  • エドワード懺悔王1042-1066
  • ハロルド2世1066
  • エドガー・アシリング (王位請求者)1066
  • ウィリアム1世1066-1087
  • ウィリアム2世1087-1100
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  • リチャード1世1189-1199
  • ジョン1199-1216
  • ヘンリー3世1216-1272
  • エドワード1世1272-1307
  • エドワード2世1307-1327
  • エドワード3世1327-1377
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  • ヘンリー6世1422-1461
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  • ヘンリー6世 (復位)1470-1471
  • エドワード4世 (復位)1471-1483
  • エドワード5世1483
  • リチャード3世1483-1485
  • ヘンリー7世1485-1509
  • ヘンリー8世1509-1547
  • エドワード6世1547-1553
  • ジェーン・グレイ1553
  • メアリー1世1553-1558及びフィリップ1554-1558(共同王)
  • エリザベス1世1558-1603
  • ケネス1世848-858
  • ドナルド1世(英語版)859-863
  • コンスタンティン1世(英語版)863-877
  • エイ(英語版)877-878
  • ギリック(英語版)878-889
  • ヨーカ(英語版)878-889
  • ドナルド2世889-900
  • コンスタンティン2世(英語版)900-942
  • マルカム1世(英語版)942-954
  • インダルフ(英語版)954-962
  • ダフ(英語版)962-967
  • カリン(英語版)967-971
  • ケネス2世(英語版)971-995
  • コンスタンティン3世(英語版)995-997
  • ケネス3世(英語版)997-1005
  • マルカム2世1005-1034
  • ダンカン1世1034-1040
  • マクベス1040-1057
  • ルーラッハ1057-1058
  • マルカム3世1058-1093
  • ドナルド3世1093-1094
  • ダンカン2世1094
  • ドナルド3世1094-1097
  • エドガー1097-1107
  • アレグザンダー1世1107-1124
  • デイヴィッド1世1124-1153
  • マルカム4世1153-1165
  • ウィリアム1世1165-1214
  • アレグザンダー2世1214-1249
  • アレグザンダー3世1249-1286
  • マーガレット1286-1290
  • ジョン・ベイリャル1292-1296
  • ロバート1世1306-1329
  • デイヴィッド2世1329-1371
  • エドワード・ベイリャル1332-1356
  • ロバート2世1371-1390
  • ロバート3世1390-1406
  • ジェームズ1世1406-1437
  • ジェームズ2世1437-1460
  • ジェームズ3世1460-1488
  • ジェームズ4世1488-1513
  • ジェームズ5世1513-1542
  • メアリー1世1542-1567
  • ジェームズ6世1567-1625
    • 1603年の王冠連合後のイングランド及びスコットランドの君主
  • ジェームズ1世及び6世1603-1625
  • チャールズ1世1625-1649
  • 護国卿政府 (オリバー・クロムウェル1653-1658リチャード・クロムウェル1658-1659)
  • チャールズ2世1660-1685
  • ジェームズ2世及び7世1685-1688
  • ウィリアム3世及び2世1689-1702及びメアリー2世1689-1694(共同王)
  • アン1702-1707
    • 1707年合同法後のイギリス君主
  • アン1707-1714
  • ジョージ1世1714-1727
  • ジョージ2世1727-1760
  • ジョージ3世1760-1820
  • ジョージ4世1820-1830
  • ウィリアム4世1830-1837
  • ヴィクトリア1837-1901
  • エドワード7世1901-1910
  • ジョージ5世1910-1936
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