エドワード・ダンロイター

ウィキポータル クラシック音楽
ポータル クラシック音楽
エドワード・ダンロイタ, 1898

エドワード・ダンロイターEdward Dannreuther, 1844年11月4日 - 1905年2月12日)は、ドイツ出身でイギリスで活動したピアニスト、音楽関係の作家である。

ストラスブールに生まれ、ライプツィヒ音楽院イグナーツ・モシェレスモーリッツ・ハウプトマンおよびエルンスト・フリードリヒ・リヒターの教えを受け、音楽家として修業を積んだのち、1863年からはイングランドに居を構えた。リヒャルト・ワーグナーに精通しており、ドイツ・マンハイム1871年に創立されたワーグナー協会(International Association of Wagner Societies, ワーグナー音楽の普及に努めるNPOで、若手音楽家の支援やバイロイト音楽祭への協力も行っている)のロンドン支部を1872年に設立している。

1895年王立音楽大学のピアノ科教授に就任し、そこで生涯にわたって教鞭を執った[1]イースト・サセックスヘイスティングスにて没。

新しい音楽に熱心であった彼は、作曲家ヒューバート・パリーに多大な影響を与えた。彼の家があったロンドン・ウェストミンスターのオーム・スクエア12番地には2005年7月26日に銘板が序幕されている[2][3]

彼の息子のヒューバート・エドワード・ダンロイター (Hubert Edward Dannreuther) はイギリス海軍長官であり、戦艦インヴィンシブル沈没事故の6人の生還者の一人である。

参考文献

  • The Harvard Biographical Dictionary of Music, Harvard Univ. Press, 1996, ISBN 978-0-674-37299-3, p. 196
  • Carl Dahlhaus, Hans Heinrich Eggebrecht (eds.): Brockhaus Riemann Musiklexikon, 1. Band. Schott Mainz, Piper München, 3. Aufl. 1989, ISBN 3-7957-8301-1, p. 293

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ “DANNREUTHER, Professor Edward”. Who's Who, vol. 57: p. 399. (1905). https://books.google.co.jp/books?id=vDsJAAAAIAAJ&pg=PA399&redir_esc=y&hl=ja. 
  2. ^ “City of Westminster green plaques”. 2012年10月28日閲覧。
  3. ^ “Edward Dannreuther”. 2012年10月28日閲覧。

外部リンク

  • ウィキソースのロゴ 英語版ウィキソースにはエドワード・ダンロイター著の原文があります。
  • エドワード・ダンロイターの作品 (インターフェイスは英語)- プロジェクト・グーテンベルク
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • FAST
  • ISNI
  • VIAF
国立図書館
  • フランス
  • BnF data
  • ドイツ
  • イスラエル
  • ベルギー
  • アメリカ
  • オーストラリア
  • ギリシャ
  • オランダ
  • ポーランド
  • バチカン
芸術家
  • MusicBrainz
人物
  • BMLO
  • ドイッチェ・ビオグラフィー
  • Trove(オーストラリア)
    • 1
その他
  • SNAC
  • IdRef