エンリコ・レッタ

エンリコ・レッタ
Enrico Letta
エンリコ・レッタ(2013年6月)
生年月日 (1966-08-20) 1966年8月20日(57歳)
出生地 イタリアの旗 イタリア トスカーナ州ピサ県ピサ
出身校 ピサ大学
サンタンナ大学院
所属政党 キリスト教民主主義(- 1994年)
イタリア人民党(1994年 – 2002年)
マルゲリータ(2002年 – 2007年)
民主党(2007年 -)
配偶者 ジャンナ・フレゴナーラ
公式サイト Enrico Letta

内閣 レッタ内閣
在任期間 2013年4月28日 - 2014年2月22日
大統領 ジョルジョ・ナポリターノ

イタリアの旗 欧州問題担当相
在任期間 1998年10月21日 - 1999年12月22日
首相 マッシモ・ダレマ

イタリアの旗 通商産業技術相
在任期間 1999年12月22日 - 2001年6月11日
首相 マッシモ・ダレマ
ジュリアノ・アマート

イタリアの旗 首相府次官
在任期間 2006年5月17日 - 2008年5月8日
首相 ロマーノ・プロディ

イタリアの旗 代議院議員
選挙区 ピエモンテ第1選挙区
マルケ第1選挙区
ロンバルディア選挙区
在任期間 2001年5月30日 - 2004年6月14日
2006年4月10日 -

その他の職歴
欧州連合の旗 欧州議会議員
2004年6月14日 - 2006年4月10日
イタリアの旗 農林食品政策相
2014年1月27日 - 2月22日
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エンリコ・レッタイタリア語: Enrico Letta, 発音 [enˌriːko ˈlɛtːa]1966年8月20日 - )は、イタリア政治家。代議院(下院)議員(4期)。

第83代閣僚評議会議長(首相)、通商産業技術相、欧州問題担当相、首相府次官(官房長官)、欧州議会議員(1期)などを歴任した。2015年9月より、パリ政治学院 Paris School of International Affairs学部長[1]

経歴

トスカーナ州ピサ出身。父のジョルジオは数学者ピサ大学数学科教授(専門は確率論)。高校時代はフランスストラスブールで過ごし、ピサ大学政治学国際法を専攻。サンタンナ大学院でEU法を専攻し博士号を取得。キリスト教民主主義に入党し、1994年の解党後はイタリア人民党、2002年からはマルゲリータに所属した。1998年マッシモ・ダレマ政権で欧州問題担当相として初入閣。イタリアでは戦後最年少の閣僚となる。以後、通商産業技術相、欧州議会議員を経てロマーノ・プロディ政権で首相府次官(日本の内閣官房長官に相当)を務めた。

2007年には民主党の結党に参加した。2009年、地方選挙敗北の責任を取って党書記長を辞任したワルテル・ヴェルトローニの後継となったダリオ・フランチェスキーニ体制で副書記長に就任した。書記長選挙でフランチェスキーニを破ったピエル・ルイジ・ベルサーニの下でも副書記長を務めた。

2013年、民主党を軸とする中道左派連合が下院選挙で勝利するものの、上院選では過半数獲得に失敗。その後の大統領選挙で党内に造反が続出したことより、ベルサーニと共に執行部を退任する。

しかし、大統領に再選したジョルジョ・ナポリターノより首班指名され[2]、4月27日に閣僚名簿を提出。翌28日に就任宣誓を行い、戦後3番目に若い首相となった[3][4]

2014年2月、自らが所属している民主党から政権運営への批判が起こり、党内の支持を失ったことから辞任を決意し、2月14日にナポリターノ大統領に辞表を提出[5][6]、大統領もこれを受理して僅か10ヶ月で首相を退任することとなった[7]。2014年2月17日、ナポリターノ大統領は、レッタの後任として民主党のマッテオ・レンツィ書記長を次期首相に指名、組閣を要請した[8]

人物

シルヴィオ・ベルルスコーニの側近であるジャンニ・レッタは叔父にあたる。

仕事で訪日する事が多く、歴代首相の中で日本での知名度は高い。

著作

脚注

  1. ^ “Enrico Letta, New Dean of PSIA” (英語). Sciences Po. 2018年6月5日閲覧。
  2. ^ “イタリア、エンリコ・レッタ氏を首相に指名 連立政権樹立へ”. AFP. (2013年4月25日). https://www.afpbb.com/articles/-/2940587?pid=10635697 2013年4月25日閲覧。 
  3. ^ “イタリア大連立発足、レッタ氏が組閣名簿提出”. 読売新聞. (2013年4月28日). https://web.archive.org/web/20130429090807/http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20130428-OYT1T00807.htm 2013年4月28日閲覧。 
  4. ^ “キーパーソン:エンリコ・レッタ氏=イタリア新首相に指名された”. 毎日新聞. (2013年4月26日). http://mainichi.jp/select/news/20130426ddm007030168000c.html 2013年4月26日閲覧。 
  5. ^ レッタ政権、10カ月で崩壊=後継はレンツィ党首か-伊 時事通信 2014年2月14日閲覧
  6. ^ レッタ伊首相が辞任 後任に若手レンツィ氏有力 産経新聞 2014年2月14日閲覧
  7. ^ 伊大統領がレッタ首相の辞表受理、週末にもレンツィ氏後継指名も Reuters Japan 2014年2月15日閲覧
  8. ^ 新首相にレンツィ氏指名=39歳、最年少リーダーに-伊 時事通信 2014年2月17日閲覧

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、エンリコ・レッタに関連するカテゴリがあります。
公職
先代
マリオ・モンティ
イタリアの旗 イタリア閣僚評議会議長
第83代:2013年 - 2014年
次代
マッテオ・レンツィ
先代
ピエル・ルイジ・ベルサーニ
イタリアの旗 イタリア
通商産業技術相

1999年 - 2001年
次代
アントニオ・マルツァーノ(英語版)
先代
ランベルト・ディーニ
イタリアの旗 イタリア
欧州問題担当相

1998年 - 1999年
次代
パトリツィア・トイア(英語版)
王政

カミッロ・カヴール1861 / ベッティーノ・リカーソリ1861-1862 / ウルバーノ・ラッタッツィ1862 / ルイージ・ファリーニ1862-1863 / マルコ・ミンゲッティ1863-1864 / アルフォンソ・マルモラ1864-1866 / ベッティーノ・リカーソリ1866-1867 / ウルバーノ・ラッタッツィ1867 / フェデリーコ・メナブレーア1867-1869 / ジョヴァンニ・ランツァ1869-1873 / マルコ・ミンゲッティ1873-1876 / アゴスティーノ・デプレーティス1876-1878 / ベネデット・カイローリ1878 / アゴスティーノ・デプレーティス1878-1879 / ベネデット・カイローリ1879-1881 / アゴスティーノ・デプレーティス1881-1887 / フランチェスコ・クリスピ1887-1891 / アントニオ・ルディニ1891-1892 / ジョヴァンニ・ジョリッティ1892-1893 / フランチェスコ・クリスピ1893-1896 / アントニオ・ルディニ1896-1898 / ルイージ・ペルー1898-1900 / ジュゼッペ・サラッコ1900-1901 / ジュゼッペ・ザナルデッリ1901-1903 / ジョヴァンニ・ジョリッティ1903-1905 / トンマーゾ・ティットーニ1905 / アレッサンドロ・フォルティス1905-1906 / シドニー・ソンニーノ1906 / ジョヴァンニ・ジョリッティ1906-1909 / シドニー・ソンニーノ1909-1910 / ルイージ・ルッツァッティ1910-1911 / ジョヴァンニ・ジョリッティ1911-1914 / アントニオ・サランドラ1914-1916 / パオロ・ボセッリ1916-1917 / ヴィットーリオ・オルランド1917-1919 / フランチェスコ・ニッティ1919-1920 / ジョヴァンニ・ジョリッティ1920-1921 / イヴァノエ・ボノーミ1921-1922 / ルイージ・ファクタ1922 / ベニート・ムッソリーニ1922-1943 / ピエトロ・バドリオ1943-1944 / イヴァノエ・ボノーミ1944-1945 / フェルッチョ・パッリ1945 / アルチーデ・デ・ガスペリ1945-1946

共和政

アルチーデ・デ・ガスペリ1946-1953 / ジュゼッペ・ペッラ1953-1954 / アミントレ・ファンファーニ1954 / マリオ・シェルバ1954-1955 / アントニオ・セーニ1955-1957 / アドネ・ツォーリ1957-1958 / アミントレ・ファンファーニ1958-1959 / アントニオ・セーニ1959-1960 / フェルナンド・タンブロニ1960 / アミントレ・ファンファーニ1960-1963 / ジョヴァンニ・レオーネ1963 / アルド・モーロ1963-1968 / ジョヴァンニ・レオーネ1968 / マリアーノ・ルモール1968-1970 / エミリオ・コロンボ1970-1972 / ジュリオ・アンドレオッティ1972-1973 / マリアーノ・ルモール1973-1974 / アルド・モーロ1974-1976 / ジュリオ・アンドレオッティ1976-1979 / フランチェスコ・コッシガ1979-1980 / アルナルド・フォルラーニ1980-1981 / ジョヴァンニ・スパドリーニ1981-1982 / アミントレ・ファンファーニ1982-1983 / ベッティーノ・クラクシ1983-1987 / アミントレ・ファンファーニ1987 / ジョヴァンニ・ゴリーア1987-1988 / チリアーコ・デ・ミータ1988-1989 / ジュリオ・アンドレオッティ1989-1992 / ジュリアーノ・アマート1992-1993 / カルロ・アツェリオ・チャンピ1993-1994 / シルヴィオ・ベルルスコーニ1994-1995 / ランベルト・ディーニ1995-1996 / ロマーノ・プローディ1996-1998 / マッシモ・ダレマ1998-2000 / ジュリアーノ・アマート2000-2001 / シルヴィオ・ベルルスコーニ2001-2006 / ロマーノ・プローディ2006-2008 / シルヴィオ・ベルルスコーニ2008-2011 / マリオ・モンティ2011-2013 / エンリコ・レッタ2013-2014 / マッテオ・レンツィ2014-2016 / パオロ・ジェンティローニ2016-2018 / ジュゼッペ・コンテ2018-2021 / マリオ・ドラギ2021-2022  / ジョルジャ・メローニ2022-現職

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