クリフトン・トルーマン・ダニエル

クリフトン・トルーマン・ダニエル(Clifton Truman Daniel、1957年6月5日 - )は、アメリカ合衆国の著述家。元新聞記者。ハリー・S・トルーマンの初孫。

父はクリフトン・ダニエル(英語版)。母はハリー・S・トルーマンの娘メアリー。2013年時点で20代の息子[1]がいる。原子爆弾の被災地を訪問[2]

経歴

1957年、ハリー・S・トルーマンの一人娘のマーガレット・トルーマンと、ニューヨーク・タイムズ記者のエルバート・クリフトン・ダニエル・ジュニア(英語版)の間に生まれる。ミルトン・アカデミー高校(英語版)からノースカロライナ大学に進み、ウィルミントンの『モーニング・スター』(英語版)の記者となった。また、タイリアン・ホール(英語版)で演出において主要な役割を担った[3]

2000年ごろ、白血病を患い被爆10年後に12歳で亡くなるまで鶴を折り続けた佐々木禎子の兄・雅弘から電話をもらい、広島訪問を打診されて以来、訪日を真剣に検討し始めた[4]

2012年に初めて来日し、8月6日広島平和記念式典8月9日長崎平和祈念式典に出席した[5]

原子爆弾についての見解

2015年4月28日、ニューヨークのジャパン・ソサエティーで被爆者とともに講演した[6]

広島と長崎を訪問したい気持ちがあったものの、自身がトルーマンの孫であるため「被爆者や遺族から非難される。私は行くべきでない」と考えていたという。平和記念式典に参列した後、「私を快く思わない被爆者[7]もいることは知っているが、帰国後は本を書き、広島の被爆者の思いを広めたい」と語った[8]

ダニエルは「私なら被爆者にこう言える。祖父は戦争を早期に終結させ、アメリカ人の命を救うことを最優先にして原爆投下を決断した。彼は日本人の命も救いたいと願ってはいたが、優先的に考えたのは自国民の命だ。」と述べている。

毎年トルーマンの誕生日に開かれる追悼セレモニーで、2015年はトルーマンの親族が集まる中、ダニエルは出席しなかった。

主たる著作

  • Growing Up with My Grandfather: Memories of Harry S. Truman, Carol Publishing Group, 1995, ISBN 978-1-55972-286-5.
  • Building Successful Relationships Between Community Colleges and the Media: New Directions for Community Colleges, Number 110, Wiley, 2000, ISBN 978-0-7879-5427-7 (110th issue of the quarterly journal "New Directions for Community Colleges" Janel Henriksen Hastingsとの共著)
  • Dear Harry, Love Bess: Bess Truman's Letters to Harry Truman, 1919–1943, Truman State University Press, 2011, ISBN 978-1-935503-26-2.

脚注

  1. ^ http://articles.chicagotribune.com/2013-02-05/news/chi-lyric-opera-fire-victim-wesley-daniel-recovering-20130205_1_lyric-opera-lyric-officials-second-degree-burns
  2. ^ http://butlerartsfest.com/events/clifton-truman-daniel-hiroshima-and-nagasaki/
  3. ^ Jack Upton (1986年10月10日). “Polly Bennett Is the Bride Of Clifton Truman Daniel” (英語). The New York Times. http://www.nytimes.com/1986/06/29/style/polly-bennett-is-the-bride-of-clifton-truman-daniel.html 2015年11月18日閲覧。 
  4. ^ 『トルーマン元米大統領の孫、広島・長崎訪問へ :日本経済新聞』
  5. ^ “元大統領の孫が平和式典初参列 「胸が張り裂ける思い」”. 47NEWS(共同通信). (2012年8月9日). http://www.47news.jp/CN/201208/CN2012080901001871.html 2015年9月9日閲覧。 
  6. ^ 時事通信社 http://www.jiji.com/jc/zc?k=201504/2015042900095&g=soc
  7. ^ 長崎平和推進協会継承部会の女性は「最初は会いたくなかったが、批判覚悟で核廃絶のために来日したと知り、会うことにした」と述べており(長崎新聞2012年8月8日)、佐々木父子はダニエルとの会談を希望する被爆者を募っていた際に調整を断った団体もあったという(毎日新聞2015年8月23日 東京朝刊)。
  8. ^ 「【産経MSN 2012.8.6】」
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