グエン・ファン・ロン

グエン・ファン・ロン
Nguyễn Phan Long
阮攀龍
ハノイにて(1950年)
生年月日 1888年
出生地 フランス領インドシナコーチシナサイゴン
没年月日 1960年7月16日(71〜72歳)
死没地  ベトナム、サイゴン
出身校 リセ・アルベール・サロー(英語版)
所属政党 立憲党
配偶者 チャン・ティ・グエン

ベトナム共和国の旗 ベトナム国第2代首相
在任期間 1950年1月20日 - 1950年5月7日
国長 バオ・ダイ

ベトナム共和国の旗 ベトナム国外務大臣
内閣 バオ・ダイ
グエン・ファン・ロン
在任期間 1949年7月1日 - 1950年5月1日
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グエン・ファン・ロン
各種表記
チュ・クオック・グー Nguyễn Phan Long
漢字チュノム 阮攀龍
北部発音: グエン・ファン・ロン
日本語読み: げん はんりゅう
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グエン・ファン・ロン阮 攀龍ベトナム語Nguyễn Phan Long / 阮攀龍, 1888年 - 1960年7月16日)は、ベトナム政治家ジャーナリストベトナム国第2代首相、外務大臣を務めた。

経歴

1888年4月3日フランス領インドシナコーチシナサイゴンにて誕生する[1]。ロンはハノイに送られ、リセ・アルベール・サロー(英語版)で教育を受けた。その後サイゴンに戻り、高校教師兼ジャーナリストとして働く。1917年には『ラ・トリビューン・インディジェーヌ』紙で働き、1920年には新聞『レチョ・アンナミテ』を創刊し、アンドレ・マルローの友人であったベトナム民族主義者ウジェーヌ・ドジャン・ド・ラ・バティ(英語版)と働いた[2]。ジャーナリスト時代には、心霊術やベトナムの宗教カオダイ教について執筆していた。1920年代から1930年代にかけてロンは、ブイ・クアン・チューが率いて1923年に設立された民族主義政党「インドシナ立憲党」の副党首を務め、植民地評議員に選出される。ロンは1936年、カオダイの統一運動を試みた「カオダイ宗派統一会議」の議長に選出されたが、結局失敗に終わった。1945年以降は外務大臣、内務大臣、『レチョ・デュ・ベトナム』の編集長を歴任。ロンはカオダイ教の熱心な信者で、流暢なフランス語を話し、チャン・ティ・グエンと結婚している。1960年7月16日、サイゴンで71歳の生涯を閉じた[3]

脚注

  1. ^ (ベトナム語) Từ điển Văn học (Bộ mới). Thế giới. (2004). pp. 1176. https://archive.org/details/tudienvanhoc_bomoi_2004/page/1175/ 
  2. ^ (フランス語) Vĩnh Đào, Quelques notes sur Eugène Dejean de la Batie
  3. ^ “Nguyen Phan Long Dies at 72; First Vietnam Premier in 1950”. The New York Times (July 19, 1960). November 24, 2023閲覧。