シンプソン湾

シンプソン湾
小湾/泊地
シンプソン湾に停泊するアメリカ海軍の艦船「マーシー (USNS Mercy)」。
シンプソン湾に停泊するアメリカ海軍の艦船「マーシー (USNS Mercy)」。
南緯4度13分 東経152度10分 / 南緯4.217度 東経152.167度 / -4.217; 152.167座標: 南緯4度13分 東経152度10分 / 南緯4.217度 東経152.167度 / -4.217; 152.167
パプアニューギニアの旗 パプアニューギニア
郡区ラバウル
命名Cortland Simpson
等時帯オーストラリア東部標準時 (AEST)UTC+10
シンプソン湾に停泊する、戦後の復員船として使用されていた空母葛城。

シンプソン湾(シンプソンわん、Simpson Harbour)は、ニューブリテン島の北端にあるガゼル半島(英語版)ブランチェ湾(英語版)内に位置する泊地に適した小湾。名称は、1872年イギリス海軍ブランチェ(英語版)の艦長としてこの湾一帯を測量調査したコートランド・シンプソン (Cortland Simpson) 海軍大佐にちなんで名付けられたものである[1]。かつては、ラバウルの首府が海岸部に置かれていた。

この小湾は、ラバウル・カルデラ(英語版)という巨大なカルデラが沈水したものである。このため、付近には多数の火山が存在している。

歴史

第二次世界大戦中、オーストラリア海陸軍遠征部隊(英語版)は、シンプソン湾に侵攻し、ラバウルを奪取した。

第二次世界大戦中、大日本帝国はこの湾を重要な海軍の拠点としていた。連合国側の空襲によって、およそ65隻の艦船が湾内に沈められた。

ニューギニア島ニューブリテン島ソロモン諸島方面における日本軍の降伏は、1945年9月6日に、イギリス海軍空母グローリーの艦上で調印された。日本軍を代表したのは、第8方面軍司令官の今村均陸軍大将と、南東方面艦隊司令官の草鹿任一海軍中将であった。

  • シンプソン湾に進入するオーストラリア艦隊、1914年9月。
    シンプソン湾に進入するオーストラリア艦隊、1914年9月。
  • ラバウルのシンプソン湾に沈められた日本の輸送船、1943年。
    ラバウルのシンプソン湾に沈められた日本の輸送船、1943年。
  • 日本の艦船を攻撃するアメリカ陸軍航空軍、1943年11月2日。
    日本の艦船を攻撃するアメリカ陸軍航空軍、1943年11月2日。
  • 1943年11月2日、シンプソン湾を攻撃する第90爆撃編隊。
    1943年11月2日、シンプソン湾を攻撃する第90爆撃編隊。

脚注

  1. ^ Rottman, Gordon L. (2001). World War II Pacific Island Guide: A Geo-Military Study. Santa Barbara, CA.: Greenwood Press. p. 172. ISBN 0-313-31395-4 

関連項目

  • ラバウル空襲
  • en:Australian Naval and Military Expeditionary Force
  • en:Bombing of Rabaul (1942)

外部リンク

  • Pacific War Wrecks
  • Rapopo Plantation Resort - divesite
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