ドロテア・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ
ドロテア Dorothea | |
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ザクセン=コーブルク=コハーリ家 | |
全名 | 一覧参照
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称号 | シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公妃 |
出生 | (1881-04-30) 1881年4月30日 オーストリア=ハンガリー帝国、ウィーン |
死去 | (1967-01-21) 1967年1月21日(85歳没) 西ドイツ、バーデン=ヴュルテンベルク州ディシンゲン、タクシス城 |
埋葬 | 西ドイツ、バイエルン州コーブルク、聖アウグスティン教会 |
配偶者 | エルンスト・ギュンター・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=アウグステンブルク |
父親 | フィリップ・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ |
母親 | ルイーズ・ド・ベルジック |
宗教 | キリスト教カトリック教会 |
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ドロテア・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ(ドイツ語: Dorothea von Sachsen-Coburg und Gotha, 1881年4月30日 - 1967年1月21日)は、ザクセン=コーブルク=ゴータ家のカトリック系の分枝コハーリ侯爵家の公女で、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公エルンスト・ギュンターの妻。
生涯
ハンガリーの大領主コハーリ侯爵家の当主であるザクセン=コーブルク=ゴータ公子フィリップと、その妻でベルギー王レオポルド2世の娘であるルイーズの間の第2子、長女として生まれた[1][2]。全名はドロテア・マリア・ヘンリエッテ・アウグステ・ルイーゼ(Dorothea Maria Henriette Auguste Louise)。ブルガリア王フェルディナントは父方の叔父、オーストリア皇太子妃シュテファニーは母方の叔母にあたる。
1898年8月2日にザクセン=コーブルク=ゴータ公国のコーブルクにおいて、アウグステンブルク公爵家の当主のエルンスト・ギュンターと結婚した。夫エルンスト・ギュンターはシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公フリードリヒ8世とその妻アーデルハイトの第5子三男で、ドイツ皇后アウグステ・ヴィクトリアの実弟である。
夫妻には子供が無かった。1920年にグリュックスブルク公子アルブレヒトとイーゼンブルク=ビューディンゲン伯女オルトルート夫妻の子供であるマリー・ルイーゼ(1908年 - 1969年)とヨハン・ゲオルク(1911年 - 1941年)の2人を養子に迎えた。子ども達はデンマーク王クリスチャン9世の兄のグリュックスブルク公フリードリヒの孫である。
1967年1月21日に西ドイツのバーデン=ヴュルテンベルク州ディシンゲンにあるタクシス城にて87歳で亡くなった。
系譜
ドロテア | 父: フィリップ・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ | 祖父: アウグスト・フォン・ザクセン=コーブルク=ゴータ | 曽祖父: フェルディナント・ゲオルク・フォン・ザクセン=コーブルク=ザールフェルト=コハーリ |
曽祖母: マリア・アントーニエ・フォン・コハーリ | |||
祖母: クレマンティーヌ・ドルレアン | 曽祖父: ルイ・フィリップ (フランス王) | ||
曽祖母: マリー・アメリー・ド・ブルボン | |||
母: ルイーズ・ド・ベルジック | 祖父: レオポルド2世 (ベルギー王) | 曽祖父: レオポルド1世 (ベルギー王) | |
曽祖母: ルイーズ=マリー・ドルレアン | |||
祖母: マリー=アンリエット・ド・アブスブール=ロレーヌ | 曽祖父: ヨーゼフ・アントン・フォン・エスターライヒ | ||
曽祖母: マリア・ドロテア・フォン・ヴュルテンベルク |