ピョーゼヤートー

ピョーゼヤートー
ဖြိုးဇေယျာသော်
2011年のピョーゼヤートー
生年月日 (1981-03-26) 1981年3月26日
出生地 ビルマ連邦社会主義共和国ラングーン
没年月日 (2022-07-23) 2022年7月23日(41歳没)
死没地 ミャンマーの旗 ミャンマー、ヤンゴン、インセイン刑務所
出身校 ヤダナボン大学(英語版)
前職 政治家、ラッパー
所属政党 国民民主連盟
配偶者 タジン・ニュン・アウン
子女 ナイン・リン・ウー
親族

ミャ・トー(英語版)(父)

キン・ウィン・メイ(母)

人民代表院議員
在任期間 2016年2月1日 - 2021年2月1日
選挙区 ザブティリ郡区(英語版)

人民代表院議員
在任期間 2012年5月2日 - 2016年1月29日
選挙区 ポバティリ郡区(英語版)
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ピョーゼヤートービルマ語: ဖြိုးဇေယျာသော်, 1981年3月26日 - 2022年7月23日)は、ミャンマー政治家ヒップホップ歌手

経歴

1981年3月26日ビルマ連邦社会主義共和国ラングーンにて誕生する。ピョーゼヤートーはボタタウン第6基礎教育高等学校(英語版)卒、1999年マンダレー薬科大学(英語版)に入学、2000年ヤダナボン大学(英語版)の通信教育に切り替え、2003年に文学士を取得して卒業した。2000年、ピョーゼヤートーのバンド「ACID」が、ミャンマー初のヒップホップアルバムをリリースした。音楽業界の多くの人々が失敗するだろうと予想していたが、ACIDは2か月以上チャート1位を維持した[1]。ピョーゼヤートーは早くから社会活動家として知られるようになり、例えばあるコンサートにて詩人のソウ・ウェイ(英語版)とアウン・ウェイでチームを組み、コメディアンのザガナー(英語版)が設立したエイズに感染した孤児の為の慈善団体に資金を集めている。また、ラッパーのゲゲ(Nge Nge)と共にザガナーの孤児院を訪れ、子ども達に英語を教えたりしている。ピョーゼヤートーは国家平和発展評議会に対する若者による民主化運動、ジェネレーションウェーブ(英語版)創設者の一人である。サフラン革命後の2007年10月9日に結成され、落書きやパンフレットによって民主化運動を広めた。ピョーゼヤートーは2008年3月12日に逮捕され、同年4月にはACIDの創設メンバーであるヤン・ヤン・チャン(英語版)も逮捕された。2008年11月20日、ピョーゼヤートーは懲役5年の刑が言い渡され、バーツシンガポールドルリンギットで約30万円を所持していた為、外貨所持の罪でさらに1年の懲役を言い渡された。アムネスティ・インターナショナルはこの判決を非難し、ピョーゼヤートーを良心の囚人として即時釈放を求めた。ピョーゼヤートーはコータウン(英語版)刑務所にて刑期を過ごし、2011年5月17日に釈放された。2012年に行われた補欠選挙では、ポバティリ郡区(英語版)から人民代表院議員に立候補し、前年にティン・アウン・ミン・ウーが空席にした議席を獲得した[2]2015年ミャンマー総選挙では、ザブティリ郡区(英語版)から出馬し人民代表院議員に当選した。2021年11月、ピョーゼヤートーは軍によって逮捕され、歌詞に反政府的なメッセージが含まれていると判断された為に拘留され、裁判では死刑が言い渡された。2022年7月23日国家行政評議会はピョーゼヤートーと、政治活動家であるチョー・ミン・ユ(英語版)を含む3人の刑を執行したことを発表した[3]

脚注

  1. ^ Alex Elgee (26 March 2010). “Another Birthday behind Bars”. The Irrawaddy. http://www.irrawaddy.org/print_article.php?art_id=18128 7 May 2011閲覧。. 
  2. ^ “Generation Wave Celebrates 6th Anniversary”. The Irrawaddy. (10 October 2013). http://www.irrawaddy.org/burma/generation-wave-celebrates-6th-anniversary.html 8 April 2014閲覧。. 
  3. ^ “Myanmar junta executes leading democracy activists”. Cnn.com. 25 July 2022閲覧。