フアン1世 (カスティーリャ王)
フアン1世 Juan I | |
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カスティーリャ国王 | |
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在位 | 1379年 - 1390年 |
戴冠式 | 1379年7月25日、ブルゴス郊外のラス・ウエルガス女子修道院 |
別号 | ガリシア国王 |
出生 | (1358-07-20) 1358年7月20日 アラゴン王国、エピラ |
死去 | (1390-10-09) 1390年10月9日(32歳没) カスティーリャ王国、アルカラ・デ・エナーレス |
埋葬 | カスティーリャ王国、トレド大聖堂 |
配偶者 | レオノール・デ・アラゴン |
ベアトリス・デ・ポルトゥガル | |
子女 | エンリケ3世 フェルナンド1世 ミゲル |
家名 | トラスタマラ家 |
王朝 | トラスタマラ朝 |
父親 | エンリケ2世 |
母親 | フアナ・マヌエル・デ・カスティーリャ |
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フアン1世(Juan I, 1358年7月20日 - 1390年10月9日)は、カスティーリャ王国トラスタマラ朝の国王(在位:1379年 - 1390年)。エンリケ2世(恩寵王)と王妃フアナ・マヌエルの子。
生涯
1375年、アラゴン王ペドロ4世の王女レオノールと最初の結婚をした。カスティーリャとレオンの王位を継承したエンリケ3世、母方からアラゴンとシチリアの王位を継承したフェルナンド1世は、レオノールとの間の子である。
1382年にレオノールが死去すると、同年のうちにポルトガル王フェルナンド1世の王女ベアトリスと再婚した。翌1383年、フェルナンド1世が死去すると、その娘婿である所以を理由にしてポルトガルに侵攻し、その領土支配と王位継承を目論んだ。しかし1385年、アルジュバロータの戦いでフェルナンド1世の庶弟に当たるジョアン1世(大王)の前に大敗を喫した。
このように連年のポルトガル侵攻を行なった結果、カスティーリャ王国の財政は多大な軍費で破綻し、軍も弱体化して王国の存亡が危ぶまれた上、かつて父エンリケ2世と王位を争ったペドロ1世(残虐王)の残党らによるクーデター計画まで発覚することとなる。これに対してフアン1世は、ペドロ1世の孫娘カタリナ(ランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの娘キャサリン)を自身の王太子エンリケと結婚させることや、フランスの支援を得ることで持ち直した。
1390年、32歳で落馬事故により死去した。
子女
アラゴン王ペドロ4世の娘レオノールとの間に以下の子女がいる。
- エンリケ3世(1379年 - 1406年) - カスティーリャ王
- フェルナンド1世(1380年 - 1416年) - アラゴン王、バレンシア王、バルセロナ伯、およびシチリア王
- レオノール(1382年生)
ポルトガル王フェルナンド1世の娘ベアトリスとの間に以下の1男をもうけた。
- ミゲル(1384年 - 1385年)
カスティーリャ国王(1379-1390) | |
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ヒメノ朝 | フェルナンド1世1037-1065 / サンチョ2世1065-1072 / アルフォンソ6世1072-1109 / ウラカ1109-1126 |
ボルゴーニャ朝 | アルフォンソ7世1126-1157 / サンチョ3世1157-1158 / アルフォンソ8世1158-1214 / エンリケ1世1214-1217 / ベレンゲラ1217 / フェルナンド3世1217-1252 / アルフォンソ10世1252-1284 / サンチョ4世1284-1295 / フェルナンド4世1295-1312 / アルフォンソ11世1312-1350 / ペドロ1世1350-1369 |
トラスタマラ朝 | エンリケ2世1369-1379 / フアン1世1379-1390 / エンリケ3世1390-1406 / フアン2世1406-1454 / エンリケ4世1454-1474 / イサベル1世1474-1504 / フェルナンド5世(共同王)1475-1504 / フアナ1504-1555 |
アブスブルゴ朝 | フェリペ1世(共同王)1506 / カルロス1世1516-1556 / フェリペ2世1556-1598 / フェリペ3世1598-1621 / フェリペ4世1621-1665 / カルロス2世1665-1700 |
ボルボン朝 | フェリペ5世1700-1715 |
※1715年、スペイン王位へ統合 カテゴリ |