フィリップ・アルブレヒト・フォン・ヴュルテンベルク

フィリップ・アルブレヒト
Philipp Albrecht
ヴュルテンベルク家家長
在位 1939年10月31日 - 1975年4月15日

全名
一覧参照
  • Georg Philipp Albrecht Carl Maria Joseph Ludwig Hubertus Stanislaus Leopold
    ゲオルク・フィリップ・アルブレヒト・カール・マリア・ヨーゼフ・ルートヴィヒ・フーベルトゥス・シュタニスラウス・レオポルト
称号 ヴュルテンベルク公
出生 (1893-11-14) 1893年11月14日
ドイツの旗 ドイツ帝国
ヴュルテンベルク王国の旗 ヴュルテンベルク王国シュトゥットガルト
死去 (1975-04-15) 1975年4月15日(81歳没)
西ドイツの旗 西ドイツバーデン=ヴュルテンベルク州ラーベンスブルク、アルツハウゼン城
埋葬 西ドイツの旗 西ドイツバーデン=ヴュルテンベルク州ラーベンスブルク、アルツハウゼン
配偶者 ヘレーネ
  ローザ
子女
一覧参照
  • マリー・クリスティーネ
    ヘレーネ
    ルートヴィヒ
    エリーザベト
    マリー・テレーゼ
    カール
    マリー・アントニエッテ
家名 ヴュルテンベルク=アルツハウゼン家
父親 アルブレヒト
母親 マルガレーテ・ゾフィー
宗教 キリスト教カトリック教会
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フィリップ・アルブレヒト・ヘルツォーク・フォン・ヴュルテンベルクドイツ語: Philipp Albrecht Herzog von Württemberg, 1893年11月14日 - 1975年4月15日)は、ドイツの旧諸侯ヴュルテンベルク王家家長(1939年 - 1975年)。

生涯

フィリップ・アルブレヒト(一番右、1903年)

ヴュルテンベルク公アルブレヒトとその妃のオーストリア大公女マルガレーテ・ゾフィーの間の長男として生まれた。シュトゥットガルトのエーバーハルト・ルートヴィヒ中等学校で学び、テュービンゲン大学で1年間法学を学んだ後、1912年よりヴュルテンベルク王国軍の第119歩兵連隊(ドイツ語版)所属の陸軍中尉となった。

第一次世界大戦が始まると、フィリップ・アルブレヒトは東部戦線でセルビア軍との戦闘に従軍した。1918年11月にドイツ革命が起きると、当時陸軍少佐となっていたフィリップ・アルブレヒトは実質的な退役を余儀なくされた。テュービンゲン大学に戻り、1925年に博士号を所得すると同時に学業を終えた。ヴュルテンベルク王ヴィルヘルム2世が1918年に退位してヴュルテンベルク王国は消滅していたため、王位継承予定者だった父アルブレヒトとフィリップ・アルブレヒトが王位を引き継ぐことが叶わなかった。フィリップ・アルブレヒトは次期王位継承者として教育されていたため、君主制こそが最も優れた政体だと生涯信じ続けていた。

ナチ党の勢力伸長を忌み嫌ったフィリップ・アルブレヒトは1933年11月の総選挙には投票せず、ナチ党の権力者たちと敵対した。ヴュルテンベルク家の人々はナチ党と戦う姿勢を見せ、ベネディクト会の修道士になって「オド神父」と名乗っていたフィリップ・アルブレヒトの弟カール・アレクサンダー(英語版)は、1940年にアメリカ合衆国に亡命して多くの慈善団体に働きかけ、ユダヤ人難民の救援に奔走した。

フィリップ・アルブレヒトは1934年に自分の居城である王太子宮殿に鉤十字の旗を掲げるのを拒み、家族とともにシュトゥットガルトを追い出された。彼は父の居城であるアルツハウゼン城(ドイツ語版)に移った。1939年に父が死去すると、フィリップ・アルブレヒトはヴュルテンベルク家家長の地位を引き継ぎ、一族の所有する莫大な所領を経営していくことになった。1975年、父と同様にアルツハウゼン城で亡くなり、アルツハウゼンに埋葬された。長男のルートヴィヒは1959年にヴュルテンベルク王家の成員としての地位を放棄したため、1960年からフィリップ・アルブレヒトの後継者となっていた次男カールが家長位を継いだ。

子女

1923年10月24日、アルツハウゼンでトスカーナ大公家家長ペーター・フェルディナントの長女であるオーストリア大公女ヘレーネ(英語版)(1903–1924) と結婚した。ヘレーネは娘を一人産んだ直後にフリードリヒスハーフェンで亡くなった。

1928年8月1日、ヘレーネの妹であるオーストリア大公女ローザ(英語版)(1906–1983) と再婚した。夫妻は2男4女を儲けた。

  • ヘレーネ(1929–2021) - 1961年、フェデリーコ・パラヴィチーニ侯爵と結婚
  • ルートヴィヒ(フランス語版)(1930–2019) - 貴賤結婚のためヴュルテンベルク王位継承権を放棄
  • エリーザベト(英語版)(1933–2022) - 1958年、両シチリア王子アントワーヌ(英語版)ガブリエーレの長男)と結婚
  • マリー・テレーゼ(英語版)(1934–) - 1957年、パリ伯およびフランス公アンリと結婚、1984年に離婚
  • カール(1936–2022) - ヴュルテンベルク家家長
  • マリー・アントニエッテ(1937–2004)

参考文献

  • Eberhard Fritz: Das Haus Württemberg und der Nationalsozialismus. Motive des Widerstands gegen Hitler und seine Bewegung. In: Christopher Dowe (Hg.): Adel und Nationalsozialismus im deutschen Südwesten (Stuttgarter Symposion, Band 11). Stuttgart 2007. S. 132-162.
  • Das Haus Württemberg - ein biographisches Lexikon, Kohlhammer 1997, ISBN 3-17-013605-4, S. 419 f.
フィリップ・アルブレヒト・フォン・ヴュルテンベルク

1893年11月14日 - 1975年4月15日

請求称号
先代
アルブレヒト
— 名目上 —
ヴュルテンベルク
1939年10月31日 – 1975年4月15日
次代
カール
爵位・家督
先代
アルブレヒト
ヴュルテンベルク家家長
1939年10月31日 – 1975年4月15日
次代
カール
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