フェルディナント2世 (神聖ローマ皇帝)

フェルディナント2世
Ferdinand II
神聖ローマ皇帝
フェルディナント2世
在位 1619年3月20日 - 1637年2月15日
別号 ハンガリー国王
ボヘミア国王
オーストリア大公
クライン公

出生 1578年7月9日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
オーストリアの旗 オーストリア大公国グラーツ
死去 1637年2月15日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
オーストリアの旗 オーストリア大公国ウィーン
配偶者 マリア・アンナ・フォン・バイエルン
  エレオノーラ・ゴンザーガ
子女 後述
家名 ハプスブルク家
王朝 ハプスブルク朝
父親 カール2世
母親 マリア・アンナ・フォン・バイエルン
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フェルディナント2世ドイツ語:Ferdinand II, 1578年7月9日 - 1637年2月15日)は、神聖ローマ皇帝(在位:1619年 - 1637年)・ハンガリー国王(在位:1619年 - 1625年)・ボヘミア国王(在位:1617年 - 1619年、1620年 - 1637年)。ハプスブルク家傍系の、内オーストリア大公家の出身。皇帝に即位する前のボヘミア国王時代に三十年戦争を引き起こし、皇帝即位後しばらくは戦いを有利に進めたが、皇帝権力の強化を狙いすぎたことで敵対勢力の反発を招き戦争を長期化させたまま崩御した。

生涯

神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世の弟・内オーストリア大公カール2世とその妻マリア・アンナ大公妃が叔姪婚によって儲けた息子であり、ルドルフ2世・マティアス兄弟の従弟に当たる。幼少からイエズス会の教育を受けたことから、カトリックの保守、拡大に努力する。皇帝即位前にはシュタイアーマルク公であったが、領国でプロテスタントの反乱が起こるかも知れない状況にもかかわらず、1618年プラハ窓外投擲事件を受けボヘミアへ派兵した[1]。1619年にマティアスの死去を受けて神聖ローマ皇帝に選出されるが、ボヘミア反乱軍はプロテスタント同盟の盟主のプファルツ選帝侯フリードリヒ5世を選出したため対立は深まった[2]

1620年に、フリードリヒ5世の同族で政敵でもあるカトリック連盟の盟主バイエルン公マクシミリアン1世と協力し、白山の戦いでマクシミリアンの家臣ティリー伯指揮下の連合軍による勝利を現出し、ボヘミアのプロテスタント勢力に大打撃を与えた[2]。戦後はプロテスタントを弾圧してボヘミアに絶対君主制を確立、ハプスブルク家の所領を分割相続から長子相続に切り替え(チロル伯領だけは弟レオポルト5世に分与した)、オーストリアの一体化をほぼ実現させた。

しかし、1621年に同族が統治するスペインの軍勢をフリードリヒ5世不在のプファルツに駐屯させたことと(戦前にアルザス割譲も約束していた)、1623年にフリードリヒ5世から選帝侯位を取り上げマクシミリアン1世に与えたことは、帝国諸侯の反発を招き、1624年フランスによる対ハプスブルク同盟が締結され、1625年には北方からデンマーク国王 クリスティアン4世の侵入を受け、急遽フリートラント侯ヴァレンシュタインを召喚し軍を編成、これを撃破した。

ところが、ヴァレンシュタインによる各地の略奪は諸侯の不満を招き、1628年にヴァレンシュタインをメクレンブルク公に叙爵したことと、1629年に発令した復旧令: Restitutionsedikt)で一層諸侯からの反感を買った。内容はプロテスタントが没収したカトリック教会領の返還、諸侯の武力制限と同盟禁止を記したもので、絶対主義を目指す内容からプロテスタント諸侯だけでなくカトリック諸侯からも反対された。1630年の帝国議会で選帝侯から、ヴァレンシュタインを罷免しない限り息子のフェルディナント3世のローマ王選出を拒否すると通告され、ヴァレンシュタインを解任した[3]

ヴァレンシュタイン解任により軍事力は低下し、フェルディナント3世のローマ王選出もなされず、同年にフランスやプロテスタント諸侯と手を組んだスウェーデン国王 グスタフ2世アドルフが北ドイツに侵入するなど状況が悪化、翌1631年にヴァレンシュタインに代わって帝国軍司令官となったティリーがマクデブルクの戦いで住民虐殺を起こしてプロテスタントのさらなる離反を招き、ブライテンフェルトの戦い・レヒ川の戦いでグスタフ2世アドルフに連敗して敗死、スウェーデン軍がバイエルンにまで進出した。窮地に陥ったフェルディナント2世はヴァレンシュタインを再召喚、リュッツェンの戦いでヴァレンシュタインは敗北したものの、グスタフ2世アドルフが戦死したためスウェーデン軍は戦力が低下し、カトリック優位に持ち直した。しかしこの戦いの後、ヴァレンシュタインが軍事行動をせずプロテスタントと交渉を行ったことから反逆を疑い、1634年にヴァレンシュタインの暗殺命令を下して実行させた[4]。これによってカトリック軍の足並みは乱れ、プロテスタント軍の大反撃を呼び込んだ。

ヴァレンシュタイン暗殺後は息子フェルディナント3世を後任の司令官として、従子であるスペイン・ハプスブルク家のフェルナンドも参入させ、ネルトリンゲンの戦いでスウェーデン軍を破らせ、1635年に復旧令の撤回と引き換えに諸侯の同盟禁止を明記したプラハ条約でプロテスタント・カトリック諸侯と和解、1636年にフェルディナント3世のローマ王選出も実現させ、一時ドイツにおける権威を上昇させた[5]。しかし、スウェーデン軍はしぶとくドイツで抵抗を続けていた上、1635年にカトリックながらプロテスタントと結んで暗躍していたフランスが本格的に参戦すると劣勢となった。戦局を打開できないまま、フェルディナント2世は1637年に死去し、フェルディナント3世が次の神聖ローマ皇帝に即位した[5]

フェルディナント3世は何とか体勢を立て直そうとしたが、スウェーデンとフランスがボヘミア・バイエルンを侵略して回り、頼みのスペインもフランスに大敗・衰退していき、主導権を奪い返すことは出来なかった。1648年ヴェストファーレン条約が締結され、帝国における皇帝の支配権は放棄されて、ドイツでの影響力は低下した[6]。その一方で、オーストリアを始めとするハプスブルク家領は確保し、ハプスブルク家はオーストリアを基盤として再興を図っていった。

家族

1600年、バイエルン公ヴィルヘルム5世の娘でマクシミリアン1世の妹マリア・アンナ(1574年 - 1616年)と結婚。7人の子が生まれた。

1622年、マントヴァ公 ヴィンチェンツォ1世の娘エレオノーラ・ゴンザーガと再婚。子供はいなかった。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 成瀬他、p. 486
  2. ^ a b 成瀬他、p. 487
  3. ^ 成瀬他、p. 490
  4. ^ 成瀬他、p. 491-492
  5. ^ a b 成瀬他、p. 492
  6. ^ 成瀬他、p. 493-494

参考文献

関連項目

ウィキメディア・コモンズには、フェルディナント2世 (神聖ローマ皇帝)に関連するメディアがあります。
爵位・家督
先代
マティアス
神聖ローマ皇帝
1619年 - 1637年
次代
フェルディナント3世
爵位・家督
先代
マーチャーシュ2世
ハンガリー国王
1519年 - 1637年
次代
フェルディナーンド3世
爵位・家督
先代
フリードリヒ1世
ボヘミア国王
1520年 - 1637年
次代
フェルジナンド3世
爵位・家督
先代
カール2世
内オーストリア大公
1590年 - 1619年
次代
オーストリア大公位へ統合
爵位・家督
先代
マティアス
オーストリア大公
1519年 - 1637年
次代
フェルディナント4世
爵位・家督
先代
カール2世
クライン公
1590年 - 1637年
次代
フェルディナント3世
カロリング朝
  • カール1世800-814
  • ルートヴィヒ1世813-840
  • ロタール1世817-855
  • ルートヴィヒ2世850-875
  • カール2世875-877
  • カール3世881-887
  • グイード1891-894
  • ランベルト1891-898
  • アルヌルフ896-899
  • ルートヴィヒ3世2901-915
  • ベレンガル3915-924
ザクセン朝
  • オットー1世962-973
  • オットー2世967-983
  • オットー3世996-1002
  • ハインリヒ2世1014-1024
ザーリアー朝
  • コンラート2世1027-1039
  • ハインリヒ3世1046-1056
  • ハインリヒ4世1084-1105
  • ハインリヒ5世1111-1125
  • ロタール3世41133-1137
ホーエンシュタウフェン朝
  • フリードリヒ1世1155-1190
  • ハインリヒ6世1191-1197
  • オットー4世51209-1215
  • フリードリヒ2世1220-1250
ルクセンブルク家
  • ハインリヒ7世1312-1313
  • ルートヴィヒ4世61328-1347
  • カール4世1355-1378
  • ジギスムント1433-1437
ハプスブルク家
  • フリードリヒ3世1452-1493
  • マクシミリアン1世1508-1519
  • カール5世1530-1556
  • フェルディナント1世1558-1564
  • マクシミリアン2世1564-1576
  • ルドルフ2世1576-1612
  • マティアス1612-1619
  • フェルディナント2世1619-1637
  • フェルディナント3世1637-1657
  • レオポルト1世1658-1705
  • ヨーゼフ1世1705-1711
  • カール6世1711-1740
  • カール7世61742-1745
ハプスブルク=ロートリンゲン家
  • フランツ1世71745-1765
  • ヨーゼフ2世1765-1790
  • レオポルト2世1790-1792
  • フランツ2世1792-1806
アールパード朝(大公)
  • アールモシュ(英語版)855頃-895頃
  • アールパード895頃-907頃
  • ジョルト(英語版)907頃-947頃
  • ファリチ(英語版)947頃-955頃
  • タクショニュ(英語版)955頃-972頃
  • ゲーザ(英語版)972頃-997
  • イシュトヴァーン997-1000
アールパード朝(王)
  • イシュトヴァーン1世1000-1038
  • ペーテル1038-1041
  • シャームエル1041-1044
  • ペーテル(復位)1044-1046
  • アンドラーシュ1世1046-1060
  • ベーラ1世1060-1063
  • シャラモン1063-1074
  • ゲーザ1世1074-1077
  • ラースロー1世1077-1095
  • カールマーン1095-1116
  • イシュトヴァーン2世1116-1131
  • ベーラ2世1131-1141
  • ゲーザ2世1141-1162
  • イシュトヴァーン3世1162-1172
  • ラースロー2世(対立王)1162-1163
  • イシュトヴァーン4世(対立王)1163-1165
  • ベーラ3世1172-1196
  • イムレ1196-1204
  • ラースロー3世1204-1205
  • アンドラーシュ2世1205-1235
  • ベーラ4世1235-1270
  • イシュトヴァーン5世1270-1272
  • ラースロー4世1272-1290
  • アンドラーシュ3世1290-1301
プシェミスル朝
  • ヴェンツェル1301-1305
ヴィッテルスバッハ朝
  • オットー1305-1307
アンジュー朝
  • カーロイ1世1308-1342
  • ラヨシュ1世1342-1382
  • マーリア1382-1385
  • カーロイ2世1385-1386
  • マーリア(復位)1386-1395
ルクセンブルク朝
  • ジグモンド1387-1437
ハプスブルク朝
  • アルベルト1437-1439
ヤゲロー朝
  • ウラースロー1世1440-1444
ハプスブルク朝
フニャディ朝
  • マーチャーシュ1世1458-1490
ヤゲロー朝
  • ウラースロー2世1490-1516
  • ラヨシュ2世1516-1526
ハプスブルク朝
ハプスブルク=ロタリンギア朝
  • ヨージェフ2世1780-1790
  • リポート2世1790-1792
  • フェレンツ1世1792-1835
  • フェルディナーンド5世1835-1848
  • フェレンツ・ヨージェフ1世1848-1916
  • カーロイ4世1916-1918
  • 1918年、ハンガリー人民共和国成立
プシェミスル朝(ボヘミア公)
  • ボジヴォイ1世850/71-894/5
  • スピチフニェフ1世894/5-905/15
  • ヴラチスラフ1世905/15-921
  • ヴァーツラフ1世921-929
  • ボレスラフ1世929-967
  • ボレスラフ2世967-999
  • ボレスラフ3世996-1002
ピャスト朝(ボヘミア公)
  • ヴラジヴォイ1002-1003
  • ボレスラフ4世1003-1004
プシェミスル朝(ボヘミア公)
  • ヤロミール1004-1012
  • オルドジフ1012-1033
  • ヤロミール(復位)1033-1034
  • ブジェチスラフ1世1034-1055
  • スピチフニェフ2世1055-1061
  • ヴラチスラフ2世1061-1092(王:1085-1092)
  • コンラート1世1092
  • ブジェチスラフ2世1092-1100
  • ボジヴォイ2世1100-1107
  • スヴァトプルク1107-1109
  • ヴラジスラフ1世1109-1117
  • ボジヴォイ2世(復位)1117-1120
  • ヴラジスラフ1世(復位)1120-1125
  • ソビェスラフ1世1125-1140
  • ヴラジスラフ2世1140-1173(王:1158-1173)
  • ベドジフ1172-1173
  • ソビェスラフ2世1173-1178/9
  • ベドジフ(復位)1178/9-1189/92
  • コンラート2世1189-1191
  • ヴァーツラフ2世1191-1192
  • オタカル1世1192-1193
  • インジフ・ブジェチスラフ1193-1197
  • ヴラジスラフ3世1197
  • オタカル1世(復位)1197-1198
プシェミスル朝(ボヘミア王)
  • オタカル1世1198-1230
  • ヴァーツラフ1世1230-1253
  • オタカル2世1253-1278
  • ヴァーツラフ2世1278-1305
  • ヴァーツラフ3世1305-1306
メンハルド朝
  • インジフ・コルタンスキー1306
ハプスブルコヴェ朝
  • ルドルフ1世1306-1307
メンハルド朝
  • インジフ・コルタンスキー(復位)1307-1310
ルケンブルコヴェ朝
ハプスブルコヴェ朝
ポジェブラト朝
  • イジー1458-1471
フニャディ朝
  • マティアス1世(対立王)1469-1490
ヤゲロンキ朝
  • ヴラジスラフ・ヤゲロンスキー1471-1516
  • ルドヴィーク1516-1526
ハプスブルコヴェ朝
  • フェルジナント1世1526-1564
  • マクシミリアン1世1564-1576
  • ルドルフ2世1576-1612
  • マティアス2世1612-1619
ヴィッテルスバホヴェ(ファルツ)朝
  • フリードリヒ1世1619-1620
ハプスブルコヴェ朝
  • フェルジナント2世1620-1637
  • フェルジナント3世1637-1646
  • フェルジナント4世1646-1654
  • レオポルト1世1655-1705
  • ヨゼフ1世1705-1711
  • カレル2世1711-1740
  • マリエ・テレジエ1740-1741
ヴィッテルスバホヴェ(バヴォルスコ)朝
  • カレル3世・アルブレフト1741-1743
ハプスブルコヴェ朝
ハプスブルスコ=ロートリンスカ朝
  • ヨゼフ2世1780-1790
  • レオポルト2世1790-1792
  • フランティシェク1世1792-1835
  • フェルジナント5世1835-1848
  • フランティシェク・ヨゼフ1世1848-1916
  • カレル3世1916-1918
歴代ドイツ君主・盟主
カロリング朝
  • (ピピン751-768
  • カール1世皇帝(768)-814
  • ルートヴィヒ1世皇帝814-840
  • ロタール1世皇帝840-843
  • ルートヴィヒ2世843-876
  • カールマン2世876-880
  • ルートヴィヒ3世876-882
  • カール3世皇帝876-887
  • アルヌルフ皇帝887-899
  • ルートヴィヒ4世899-911
  • 断絶
  • コンラート1世1911-918
共同王
  • (カールマン1世768-771
ザクセン朝
  • ハインリヒ1世919-936
  • オットー1世皇帝936-973
  • オットー2世皇帝973-983
  • オットー3世皇帝983-1002
  • ハインリヒ2世皇帝1002-1024
共同王
  • オットー2世皇帝961-973
対立王
  • バイエルン公アルヌルフ919-921
  • バイエルン公ハインリヒ2世984-985
ザーリアー朝
  • コンラート2世皇帝1024-1039
  • ハインリヒ3世皇帝1039-1056
  • ハインリヒ4世皇帝1056-1105
  • ハインリヒ5世皇帝1105-1125
  • 断絶
  • ロタール3世2,皇帝1125-1137
共同王
  • ハインリヒ3世1028-1039
  • ハインリヒ4世1053-1156
  • イタリア王コンラート1087-1098
  • ハインリヒ5世1198-1105
対立王
ホーエンシュタウフェン朝
  • コンラート3世1138-1152
  • フリードリヒ1世皇帝1152-1190
  • ハインリヒ6世皇帝1190-1197
  • フリードリヒ2世1197-1198
  • フィリップ1198-1208
  • 中断
  • オットー4世3,皇帝1208-1215
  • 再開
  • フリードリヒ2世皇帝(復位)1215-1220
  • ハインリヒ(7世)1220-1235
  • コンラート4世1237-1254
共同王
  • ハインリヒ6世1169-1190
  • フリードリヒ2世1194-1197
対立王
  • ヴェルフ家オットー1198-1208
  • シチリア王フリードリヒ1212-1215
  • ハインリヒ・ラスペ1246-1247
  • ホラント伯ヴィルヘルム1248-1254
大空位時代
  • ホラント伯ヴィルヘルム1254-1256
  • コルンヴァル伯リヒャルト1257-1272
対立王
  • カスティーリャ王アルフォンソ10世1257-1275
非世襲期
  • ルドルフ1世41273-1291
  • アドルフ51292-1298
  • アルブレヒト1世41298-1308
  • ハインリヒ7世6,皇帝1308-1313
  • ルートヴィヒ5世7,皇帝1314-1347
  • カール4世6,皇帝1347-1378
  • ヴェンツェル61378-1400
  • ループレヒト71400-1410
  • ジギスムント6,皇帝1410-1437
  • アルブレヒト2世41438-1439
共同王
  • フリードリヒ3世41325-1230
  • ヴェンツェル61376-1478
対立王
ハプスブルク家
  • フリードリヒ4世皇帝1440-1493
  • マクシミリアン1世皇帝1493-1519
  • カール5世皇帝1519-1556
  • フェルディナント1世皇帝1556-1564
  • マクシミリアン2世皇帝1564-1576
  • ルドルフ2世皇帝1576-1612
  • マティアス皇帝1612-1619
  • フェルディナント2世皇帝1619-1637
  • フェルディナント3世皇帝1637-1657
  • レオポルト1世皇帝1658-1705
  • ヨーゼフ1世皇帝1705-1711
  • カール6世皇帝1711-1740 | 断絶 | カール7世7,皇帝1742-1745
共同王
  • マクシミリアン1世1486-1593
  • フェルディナント1世1531-1556
  • マクシミリアン2世1562-1564
  • ルドルフ2世1575-1676
  • フェルディナント3世1636-1637
  • フェルディナント4世1653-1654
  • ヨーゼフ1世1690-1705
ハプスブルク=ロートリンゲン家
  • フランツ1世皇帝1745-1765
  • ヨーゼフ2世皇帝1765-1790
  • レオポルト2世皇帝1790-1792
  • フランツ2世皇帝(オーストリア皇帝フランツ1世)1792-1806
ライン同盟
連邦主席
  • オーストリア皇帝フランツ1世1815-1835
  • オーストリア皇帝フェルディナント1世1835-1848
  • ヨハン大公(帝国執政)1848-1849
  • オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世1850-1866
  • プロイセン王ヴィルヘルム1世(北ドイツ連邦)1867-1871
ドイツ皇帝
  • プロイセン王ヴィルヘルム1世1871-1888
  • プロイセン王フリードリヒ3世1888
  • プロイセン王ヴィルヘルム2世1888-1918
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