ブッシー・ハウス

ブッシー・ハウス
Bushy House
ブッシー・ハウスの東側(1992年)
地図
旧名称 アッパー・ロッジ (Upper Lodge)
概要
用途 邸宅
建築様式 イギリス古典主義建築
所在地 イングランドの旗 イングランド ロンドンテディントン(英語版)
座標 北緯51度25分13秒 西経0度20分21秒 / 北緯51.42028度 西経0.33917度 / 51.42028; -0.33917座標: 北緯51度25分13秒 西経0度20分21秒 / 北緯51.42028度 西経0.33917度 / 51.42028; -0.33917
着工 1663年 (1663)
改築 1713–1715
クライアント エドワード・プロガー(英語版)
ハリファックス伯爵ジョージ・モンタギュー(再建築)
所有者 イギリス国立物理学研究所の一部
設計・建設
建築家 ウィリアム・サムウェル(英語版)
指定建築物 – 等級 II*
登録名Bushy House
登録日1952年9月2日
登録コード1080870
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ブッシー・ハウス(Bushy House)は、ロンドンテディントン(英語版)にある邸宅である。ハリファックス伯爵ジョージ・モンタギューによって1714年から1715年にかけて建てられたもので、その後国王ウィリアム4世の邸宅としても使われた。1952年に2*級イギリス指定建造物に指定された[1]

隣接してブッシー・パーク(英語版)があり、この建物の上層の階から眺めることができる。1900年、ブッシー・ハウスとブッシー・パークを含む12ヘクタールの土地にイギリス国立物理学研究所(NPL)が開設された。この建物の1階と地下はNPLの実験室となり、初代所長リチャード・グレイズブルック(英語版)を始めとする歴代のNPL所長は、この建物の一部を私邸として利用した。ブッシー・ハウスには、複数の実験室、かつての科学機器(英語版)などを展示した2つの小規模な博物館、会議室がある。

歴史

現在のブッシー・ハウスの位置には、1663年、建築家ウィリアム・サムウェル(英語版)エドワード・プロガー(英語版)の依頼により4千ポンド(2021年の物価換算で約65万ポンド)で建てた、ブッシー・パークの管理者のための小屋だった。清教徒革命により亡命中のチャールズ2世に忠誠を誓っていたプロガーは、チャールズ2世が保有するブッシー・パークの管理者に任命されていた[2]

ハリファックス男爵ジョージ・モンタギューがチャールズ2世の寵姫バーバラ・パーマーからこの公園を買い取って管理者となった後、1714年から1715年にかけてブッシー・ハウスを建設した[2]。邸宅と公園は、従兄弟のジョージ・モンタギュー(後に初代ハリファックス伯爵)を経て、ジョージの息子のジョージ・モンタギュー=ダンク(第2代ハリファックス伯爵)に継承された[2]。1771年から1792年まで、ジョージ・モンタギューの孫に当たり首相も務めたノース卿フレデリック・ノースがこの邸宅に住んでいた[3]。ノース卿は他にエプソムやロンドン中心部(ウェストミンスター)などにも邸宅を持っていた。

ノース卿とその妻の死後の1797年、国王ジョージ3世は、自身の息子のクラレンス公(後の国王ウィリアム4世)をブッシー・パークの管理人に任命した[3]。クラレンス公は、愛人のドロシー・ジョーダンやその10人の子供とともにこの邸宅に住んでいた[3]。1811年にドロシーとの関係が終わった後も、クラレンス公はドロシーとの間の子供たちとともにこの邸宅に住み続け、1818年に結婚した妻アデレードもこの邸宅に住んでいた。1830年6月26日の朝、兄の国王ジョージ4世が亡くなり、クラレンス公がウィリアム4世として国王に即位した。即位とともに、ウィリアム4世は王妃アデレードをブッシー・パークの管理人に任命した。1837年にウィリアム4世が亡くなった後、1849年にアデレードが亡くなるまで、この邸宅はアデレードの公邸として使われた。

1865年、女王ヴィクトリアは、2月革命によりフランスから亡命したヌムール公らフランス王家の人々のためにこの邸宅を提供した。ヌムール公は1871年にフランスに戻ったが、再び亡命する場合に備えてブッシー・ハウスの管理を続けた。1896年にヌムール公が相続人のないまま亡くなったため、この邸宅は空き家になった。

1900年、プリンス・オブ・ウェールズ(後の国王ジョージ5世)がこの地にイギリス国立物理学研究所を開設した。当初はリッチモンドのオールド・ディア・パーク(英語版)での開設を予定していたが、この土地は浸水の恐れがあったため、その代替としてブッシー・パークが充てられた。研究所は1902年3月に開設された[4]

ギャラリー

  • ブッシー・ハウスの北側(2007年)
    ブッシー・ハウスの北側(2007年)
  • 1827年の本に描かれたブッシー・ハウス
    1827年の本に描かれたブッシー・ハウス
  • ブッシー・ハウスの東側(1901年または1902年)
    ブッシー・ハウスの東側(1901年または1902年)

脚注

  1. ^ Historic England (2 September 1952). "Bushy House (1080870)". National Heritage List for England (英語). 2020年7月27日閲覧
  2. ^ a b c 'Spelthorne Hundred: Hampton Court Palace, parks', in A History of the County of Middlesex: Volume 2, ed. William Page (London, 1911), pp. 386-388. British History Online http://www.british-history.ac.uk/vch/middx/vol2/pp386-388 Accessed 1 October 2017.
  3. ^ a b c Google Books The Story of Dorothy Jordan Armstrong, Clare & Jerrold, Bridgman Ayer Publishing, 1969 ISBN 0-405-08672-5, ISBN 978-0-405-08672-4
  4. ^ "The National Physical Laboratory". The Times (英語). No. 36720. London. 20 March 1902. p. 6.

参考文献

ウィキメディア・コモンズには、ブッシー・ハウスに関連するカテゴリがあります。
  • Eileen Magnello (2000). A Century of Measurement. Canopus. ISBN 0-9537868-1-1 
  • The Story of Bushy House