ホセ・マリア・アスナール

この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はアスナール第二姓(母方の姓)はロペスです。
ホセ・マリーア・アスナール・ロペス
José María Aznar López
ホセ・マリーア・アスナール
生年月日 (1953-02-25) 1953年2月25日(71歳)
出生地 スペインの旗 スペインマドリード
出身校 マドリード・コンプルテンセ大学
所属政党 国民党
配偶者 アナ・マリーア・ボテージャ・セラーノ
サイン

在任期間 1996年5月5日 - 2004年4月17日

在任期間 1987年7月27日 - 1989年9月16日

国民党党首
在任期間 1990年4月1日 - 2004年10月16日

下院議員(マドリード選挙区)
在任期間 1989年11月21日 - 2004年1月19日

下院議員(アビラ選挙区)
在任期間 1982年11月18日 - 1987年7月7日

その他の職歴
カスティーリャ・イ・レオン州議員
(アビラ選挙区)

1987年6月10日 - 1989年9月16日
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ホセ・マリーア・アスナール・ロペスJosé María Aznar López, 1953年2月25日 - )は、スペイン政治家。国民党所属。1996年から2004年までスペインの首相を務めた。なお、前マドリード市長であるアナ・ボテーリャは妻。

生い立ち

スペインのマドリードで生まれる。マヌエル・アスナール・スビガライ(フランコ時代の著名なジャーナリスト)の孫である。ホセ・マリーアは10代の頃、自らを「独立したファランヘ党員」であると称した。

政治家として

彼は1975年にマドリード・コンプルテンセ大学を卒業し、1975年に税制検査官に就職した。1977年にはアナ・マリーア・ボテージャ・セラーノと結婚する。1979年1月、妻が参加していた保守政党の国民同盟 (Alianza Popular, AP) に参加する。3月にはラ・リオハ州の党事務局長に就任し、1980年まで同職を務めた。1981年2月に彼はAPの全国執行委員会に加わる。1982年2月には副事務局長となり、1982年10月26日に彼はアビラ代表国会議員に選出される。1985年6月22日に彼はカスティーリャ・イ・レオン州の党支部長に選任された。また、1995年にはETAに暗殺されかけるも彼の愛車だったアウディ・V8防弾車であったことから失敗した。

首相職

社会労働党フェリーペ・ゴンサーレス政権が不正蓄財などの疑惑で倒れたあと、1996年に首相に就任。在職中にはユーロ導入など欧州統合の深化、コソボ紛争アメリカ同時多発テロアフガニスタン紛争イラク戦争などがあった。

ユーロ加入に向けて財政再建に取り組み、黒字化を達成するとともに失業率も低下、民営化、規制緩和、移民流入促進といった一連の新自由主義改革は投資を呼び込み、EUの優等生と言われるほどの好景気を演出し、2000年3月の総選挙では大勝するなど、任期の多くにおいて経済は好調だった。外交面では対米関係を重視、イラク戦争のときには非常任理事国として国連安全保障理事会では米国イギリスに同調し賛成に回った。これはフランス常任理事国)、ドイツ(非常任理事国で議長国)が反対に回ったこととは対照をなした。マデイラ諸島でのアメリカ、英国、スペインの3カ国会談でもイラク戦争賛成を強くアピールした。

2004年の議会選挙を前に首相職の引退を表明、マリアーノ・ラホイを後継者として選挙を戦った。イラク戦争当時は国内で強い批判を浴びたものの、事前の世論調査では、経済情勢などからいずれも与党圧勝を予想していたところ、選挙直前にイスラーム過激派によるマドリード同時多発テロが起きると、スペイン国民の動揺によりあらためて焦点がイラク戦争に向き、対米協調とイラク駐留継続を掲げるアスナール政権・国民党への批判が強まった。また、アスナールが当初バスク祖国と自由による犯行を示唆するなどの不手際も国民の不信を招き、結果はイラクからの即時撤退を掲げる社会労働党が勝利した。

首相退任後

その後、彼はフォックス放送の創設者であるルパート・マードックの複合メディア企業、ニューズ・コープ取締役となった。

2005年12月27日付のイタリアの新聞「メッサジェロ」に、北大西洋条約機構(NATO)を対テロ戦争に活用し、「民主主義国家でありテロと戦う意思と能力を持つ」、イスラエルオーストラリア日本に「門戸を開くべきだ」との考えを表明した。

なお、2007年11月10日チリの首都サンティアゴ・デ・チレで開催されたイベロアメリカ首脳会議の席上で、ベネズエラウゴ・チャベス大統領がアスナールをファシストと発言したことに対してスペイン首相(当時)のホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテーロが彼はファシストではないと擁護した際には、アスナールはサパテーロに対し感謝の電話をかけている。

「フアン・カルロス1世 (スペイン王)#国際会議で一喝」および「ポル・ケ・ノ・テ・カージャス」も参照

首相在任中から親イスラエル派の政治家としても知られ、2010年には親イスラエル団体「イスラエル友好イニシアチブ」(Friends of Israel Initiative)をジョン・ボルトン元国連大使らと共に設立した。

ギャラリー

著作

  • Libertad y solidaridad (1991)
  • La España en que yo creo (1995)
  • España: la segunda transición (1995)
  • Ocho años de Gobierno. Una visión muy personal de España (2004)
  • Retratos y perfiles: de Fraga a Bush (2005)

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、ホセ・マリア・アスナールに関連するカテゴリがあります。
  • Partido Popular
  • Extended biography by CIDOB Foundation (スペイン語)
公職
先代
フェリペ・ゴンサレス
スペインの旗 スペイン首相
第4代:1996年 - 2004年
次代
ホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ
先代
ホセ・コンスタンティーノ・ナルダ(英語版)
カスティーリャ・レオン州の旗 カスティーリャ・イ・レオン州首相
1987年 - 1989年
次代
ホセ・マリーア・ポウサーダ・モレーノ(英語版)
イサベル2世治世下
(1833–1868)
  • マルティネス・デ・ラ・ローザ 1834-1835
  • ケイポ 1835
  • アラバ 1835
  • アルバレス・メンディサバル 1835-1836
  • イストゥリズ 1836
  • カラトラバ 1836-1837
  • エスパルテロ 1837
  • バルダヒ 1837
  • エレディア 1837-1838
  • ベラスコ 1838
  • ペレス・デ・カストロ 1838-1840
  • アントニオ・ゴンサレス 1840
  • フェハス 1840
  • コルタサル 1840
  • サンチョ 1840
  • エスパルテロ 1840-1841
  • フェレール 1841
  • アントニオ・ゴンサレス 1841-1842
  • ロディル 1842-1843
  • J. M. ロペス 1843
  • ゴメス・ベセラ 1843
  • オロザガ 1843
  • ゴンサレス・ブラボー 1843-1844
  • ナルバエス 1844-1846
  • フェルナンデス・デ・ピネド 1846
  • ナルバエス 1846
  • イストゥリズ 1846-1847
  • マッキーン 1847
  • パチェコ 1847
  • ガルシア・ゴエナ 1847
  • ナルバエス 1847-1849
  • マリア・デ・ソット 1849
  • ナルバエス 1849-1851
  • ブラボー・ムリーリョ 1851-1852
  • ロンカリ 1852-1853
  • レルサンディ 1853
  • サルトリウス 1853-1854
  • コルドバ 1854
  • リバス 1854
  • エスパルテロ 1854-1856
  • オドンネル 1856
  • ナルバエス 1856-1857
  • アルメロ 1857-1858
  • イストゥリズ 1858
  • オドンネル 1858-1863
  • フェルナンデス・デ・ピネド 1863-1864
  • アラゾラ 1864
  • モン 1864
  • ナルバエス 1864-1865
  • オドンネル 1865-1866
  • ナルバエス 1866-1868
  • ゴンサレス・ブラボー 1868
  • コンチャ 1868
民主主義の六年間
(1868–1874)
  • マドス 1868
  • セラーノ 1868-1869
  • プリム 1869-1870
  • トペーテ 1870-1871
  • セラーノ 1871
  • ルイス・ソリーリャ 1871
  • マルカンポ 1871
  • サガスタ 1871-1872
  • セラーノ 1872
  • ルイズ・ソリーリャ 1872-1873
  • フィゲラス 1873
  • 1873
  • サルメロン 1873
  • カステラル 1873-1874
  • セラーノ 1874
  • サバラ 1874
  • サガスタ 1874
王政復古
(1874–1931)
  • カノバス 1874-1875
  • ホベリャール 1875
  • カノバス 1875-1879
  • マルティネス・カンポス 1879
  • カノバス 1879-1881
  • サガスタ 1881-1883
  • ポサーダ 1883-1884
  • カノバス 1884-1885
  • サガスタ 1885-1890
  • カノバス 1890-1892
  • サガスタ 1892-1895
  • カノバス 1895-1897
  • アスカラガ 1897
  • サガスタ 1897-1899
  • シルベラ 1899-1900
  • アスカラガ 1900-1901
  • サガスタ 1901-1902
  • シルベラ 1902-1903
  • フェルナンデス・ビジャベルデ 1903
  • マウラ 1903-1904
  • アスカラガ 1904-1905
  • フェルナンデス・ビジャベルデ 1905
  • モンテーロ 1905
  • モレット 1905-1906
  • ロペス・ドミンゲス 1906
  • モレット 1906
  • アギラ 1906-1907
  • マウラ 1907-1909
  • モレット 1909-1910
  • カナレハス 1910-1912
  • ガルシア・プリエト 1912
  • ロマノーネス 1912-1913
  • ダト 1913-1915
  • ロマノーネス 1915-1917
  • ガルシア・プリエト 1917
  • ダト 1917
  • ガルシア・プリエト 1917-1918
  • マウラ 1918
  • ガルシア・プリエト 1918
  • ロマノーネス 1918-1919
  • マウラ 1919
  • サンチェス・デ・トカ 1919
  • アジェンデサラサル 1919-1920
  • ダト 1920-1921
  • ブガラル 1921
  • アジェンデサラサル 1921
  • マウラ 1921-1922
  • サンチェス・ゲラ 1922
  • ガルシア・プリエト 1922-1923
  • プリモ・デ・リベラ 1923-1930
  • ベレンゲル 1930-1931
  • アスナル 1931
第二共和政
(1931–1939)
  • アルカラ=サモーラ 1931
  • アサーニャ 1931-1933
  • レルー 1933
  • マルティネス・バリオ 1933
  • レルー 1933-1934
  • サンペール 1934
  • レルー 1934-1935
  • チャパプリエータ 1935
  • ポルテーラ 1935-1936
  • アサーニャ 1936
  • バルシア 1936
  • カサーレス 1936
  • マルティネス・バリオ 1936
  • ヒラル 1936
  • ラルゴ 1936-1937
  • ネグリン 1937-1939
フランコ体制下
(1936–1975)
民主化後
(1975-)
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