モンテフィアスコーネ

モンテフィアスコーネ
Montefiascone
モンテフィアスコーネの風景
行政
イタリアの旗 イタリア
ラツィオ州の旗 ラツィオ
県/大都市 ヴィテルボ
CAP(郵便番号) 01027
市外局番 0761
ISTATコード 056036
識別コード F499
分離集落 #分離集落参照
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
地震分類 zona 2B (sismicità media)
気候分類 zona E, 2467 GG
公式サイト リンク
人口
人口 13,498 [1](2018-01-01)
人口密度 128.9 人/km2
文化
住民の呼称 montefiasconesi
守護聖人 アンティオキアのマルガリタ (Santa Margherita d'Antiochia)
祝祭日 7月20日
地理
座標 北緯42度32分25秒 東経12度02分13秒 / 北緯42.54028度 東経12.03694度 / 42.54028; 12.03694座標: 北緯42度32分25秒 東経12度02分13秒 / 北緯42.54028度 東経12.03694度 / 42.54028; 12.03694
標高 590 (220 - 633)[2] m
面積 104.75 [3] km2
モンテフィアスコーネの位置(イタリア内)
モンテフィアスコーネ
モンテフィアスコーネの位置
ヴィテルボ県におけるコムーネの領域
ヴィテルボ県におけるコムーネの領域
イタリアの旗 ポータル イタリア
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モンテフィアスコーネイタリア語: Montefiascone)は、イタリア共和国ラツィオ州ヴィテルボ県にある都市で、その周辺地域を含む人口約1万3000人の基礎自治体コムーネ)。

ボルセーナ湖を望む丘の上に位置する市街は長い歴史を持ち、司教座聖堂ドゥオーモ)を擁する。中世以来すぐれたワインの生産でも知られており、D.O.C.ワイン(原産地統制を受けたイタリアワイン)「エスト! エスト!! エスト!!! ディ・モンテフィアスコーネ」の産地である。

地理

位置・広がり

ヴィテルボ県北部に所在するコムーネである。ボルセーナ湖南東の丘の上に位置するモンテフィアスコーネの街は、県都ヴィテルボの北北西約15km、チヴィタヴェッキアの北北東約53km、ペルージャの南南西約70km、首都ローマの北北西約79kmに位置する。

隣接コムーネ

  • 町から眺めるボルセーナ湖
    町から眺めるボルセーナ湖
  • 旧市街
    旧市街

歴史

モンテフィアスコーネ大聖堂

この都市の地名は、Mons Faliscorumファリスキ人(英語版)の山)に由来しており、のちにエトルリアの支配下に入った。この都市には、ファヌム・ヴォルトゥムナエ(英語版)と呼ばれるエトルリアの神殿があったと考えられている。ローマ帝国のもとで、この祭典はウォルシニー(英語版)付近において執り行われていた。

モンテフィアスコーネの名を記した最古の文書は853年のもので、このとき都市はトスカナ司教に属していた。1058年には教皇ステファヌス9世が、1074年には教皇グレゴリウス7世が、それぞれ訪れている。

1093年には、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が城塞を包囲した。1185年には皇帝フリードリヒ1世が訪れており、この城塞の重要性が確認できる。その後の2世紀にわたり、モンファルコーネは教皇領となり、その全盛期を迎えた。城はしばしば教皇の御座所となり、拡張と装飾が加えられた。14世紀のアヴィニョン捕囚の時代には、この城は教皇使節アルボルノス枢機卿 (Gil Álvarez Carrillo de Albornozの居城であった。

しかしながら、1462年の教皇ピウス2世の時代には、すでに城は荒廃した状態になっていた。1657年の疫病や、1697年の地震は、荒廃に拍車をかけた。

1870年、教皇領の編入により、この都市はイタリア王国の一部となった。第二次世界大戦中の1944年5月には、連合軍の爆撃により被害を受けている。

行政

分離集落

モンテフィアスコーネには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。

  • Le Coste, Le Grazie, Le Mosse, Zepponami, Fiordini

社会

人口

人口推移

人口推移
人口±%
18717,231—    
18817,389+2.2%
19019,371+26.8%
19119,971+6.4%
192110,336+3.7%
193110,864+5.1%
193611,277+3.8%
195111,563+2.5%
196112,054+4.2%
197111,819−1.9%
198112,508+5.8%
199112,656+1.2%
200112,653−0.0%
201113,388+5.8%

文化・観光

モンテフィアスコーネの大聖堂
モンテフィアスコーネの大聖堂 (Montefiascone Cathedralは、建築家ミケーレ・サンミケーリ(1484年-1559年)の初期の作品のひとつである。聖マルゲリータにささげられたこの聖堂は1330年に破壊され、300年にわたって再建工事が続けられた。1670年には火災の被害に遭い、工事はさらに10年延びることとなった。現在の内装は、1893年に補修されたものである。

交通

道路

国道
  • SS2 (it:Strada statale 2 Via Cassia
  • SS71 (it:Strada statale 71 Umbro Casentinese Romagnola

脚注

  1. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Total Resident Population on 1st January 2018 by sex and marital status” (英語). 2018年11月15日閲覧。
  2. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Popolazione residente - Viterbo (dettaglio loc. abitate) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年3月8日閲覧。
  3. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Superficie territoriale (Kmq) - Viterbo (dettaglio comunale) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年3月8日閲覧。

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、モンテフィアスコーネに関連するカテゴリがあります。
  • http://www.cittadimontefiascone.it/
  • http://www.montefiascone1.it
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西   モンテフィアスコーネ   東
南
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