レオ・ベルギクス

この記事の項目名には以下のような表記揺れがあります。
  • レオ・ベルジカス
ファミアーノ・ストラーダ作(1631年から1651年の間)

レオ・ベルギクスラテン語: Leo Belgicus)は、ベルギウム(ラテン語: Belgium:現在のベルギーではなく、オランダルクセンブルク、ベルギーと北部フランスの一部から成っていたネーデルラントのこと[1])を獅子ラテン語: leo)の形で表した紋章または地図のこと。

地図でない場合、ネーデルラント連邦共和国擬人化であるオランダの乙女(英語版)を一緒に描くことが多い。この時、乙女と獅子は「ホラントの庭」という丸い囲いのある庭に座っている。

これと近いものにヨーロッパ大陸を女王(ラテン語: regina)に見立てた「エウローパ・レーギーナ(Europa regina)」がある。

歴史

八十年戦争の最中だった1583年オーストリア地図学者ミヒャエル・アイツィンガーが描いたものが最古のレオ・ベルギクスである。ネーデルラントでは獅子の紋章が多かったことから、それに触発されたと言われている[2]。(具体的に、紋章に獅子の図案を使っていたのはウィレム1世はじめ、ブラバント公国フランドル伯領(英語版)、フリースラント領主領、ゲルデルン公領エノー伯領ホラント伯領(英語版)リンブルフ公領(英語版)ルクセンブルク公領(英語版)ナミュール伯領ゼーラント伯領(英語版)

レオ・ベルギクスには大きく分けて3種類のパターンがあった。

  • 最も一般的なものは、獅子の頭を国土の北東に、尻尾を南西に配置したもので、このパターンでとくに有名なのが1609年12年停戦協定(英語版)の時に出版されたクラース・ヤンス・フィッセル(英語版)のもの。
  • 獅子を東西逆向きにしたもので、ヨドクス・ホンディウス(英語版)が有名。
  • ヴェストファーレン条約でネーデルラント連邦共和国の独立が承認された1648年に出版されたもので、ホラント伯領のみを描いたもの。「Leo Hollandicus」と呼ばれる。最も古いものはクラース・ヤンス・フィッセルが1625年に出版したもの。

ギャラリー

  • ミヒャエル・アイツィンガー/フランス・ホーヘンベルフ作(1583年)
    ミヒャエル・アイツィンガー/フランス・ホーヘンベルフ作(1583年)
  • クラース・ヤンス・フィッセル作(1609年)
    クラース・ヤンス・フィッセル作(1609年)
  • ヨドクス・ホンディウス作(1611年)
    ヨドクス・ホンディウス作(1611年)
  • クラース・ヤンス・フィッセル『Leonis Hollandiae』(1648年)
    クラース・ヤンス・フィッセル『Leonis Hollandiae』(1648年)
  • バタヴィア共和国のシンボル(1795年 - 1806年)
    バタヴィア共和国のシンボル(1795年 - 1806年)
  • フィリップ・フォン・ツェーゼンの本の表紙(1660年)
    フィリップ・フォン・ツェーゼンの本の表紙(1660年)
  • フィッセルの地図はフェルメールの『絵画芸術』の中に出てくる
    フィッセルの地図はフェルメールの『絵画芸術』の中に出てくる

脚注

  1. ^ ニューネーデルラント#植民地のラテン語名に関する注釈
  2. ^ Melanie Langa. “Leo Belgicus”. スタンフォード大学. 2020年1月20日閲覧。

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、レオ・ベルギクスに関するカテゴリがあります。

  • Several versions of the map, Leiden University
  • See : Leo Belgicus maps in Antique Map Price and high resolution image source by Swaen.com.