ワシントン・タイムズ=ヘラルド

ワシントン・タイムズ=ヘラルド
The Washington Times-Herald
種別日刊紙
判型ブランケット判
設立ワシントン・タイムズ: (1894-1939)
ワシントン・ヘラルド: (1906-1939)
ワシントン・タイムズ=ヘラルド: (1939-1954)
政治的傾向保守主義
廃刊1954年
本社所在地ワシントンD.C.
合併前の『ワシントン・タイムズ』1922年2月26日号の一面
合併前の『ワシントン・ヘラルド』1922年12月25日号の一面

ワシントン・タイムズ=ヘラルド』(Washington Times-Herald)は、かつてアメリカ合衆国ワシントンD.C.で発行されていた日刊紙である。メディル=マクコーミック=パターソン家[注釈 1]エレノア・"シシー"・パターソンウィリアム・ランドルフ・ハーストから『ワシントン・タイムズ』と『ワシントン・ヘラルド』を買い取り、両紙を合併させて創刊した。これにより、朝から晩まで1日10回発行される「24時間新聞」が誕生した[1]

歴史

前身となる『ワシントン・タイムズ』紙[注釈 2]は、インディアナ州エルクハートの下院議員チャールズ・G・コン(英語版)が1894年に創刊し、スティルソン・ハッチンス(英語版)(『ワシントン・ポスト』の創刊者)が初代発行人を務めた。その後、フランク・A・マンジー(英語版)に買収された。マンジーは大規模な新聞配信会社を経営しており、「日刊紙のディーラー」「ジャーナリズムのアンダーテイカー」と呼ばれていた[2]。その5年後、マンジーは1906年に創刊された『ワシントン・ヘラルド』を買収した。

1917年、ウィリアム・ランドルフ・ハーストがタイムズ紙を買収した。ハーストは1922年にヘラルド紙も買収した。

『シカゴ・トリビューン』のロバート・マコーミック(英語版)のいとこであり、『デイリーニュース』のジョセフ・メディル・パターソン(英語版)の妹であるシシー・パターソンは、1930年から両紙の編集者を務め、1937年にハーストから両紙を借り受けた。1939年、ハーストがカリフォルニア州サン・シミオン(英語版)に建設したハースト・キャッスルのコストが上昇して倒産寸前になったことと、1933年に倒産した『ワシントン・ポスト』を競売で購入したユージン・メイヤーフィル・グラハムが両紙を買収しようとしていたことから、パターソンは両紙を完全に買収した。パターソンは、両紙を合併して『ワシントン・タイムズ=ヘラルド』とし、1948年に亡くなるまで経営した。

シシー・パターソンのいとこのマコーミックは、パターソンが1948年に死去した後にこの新聞を買収した[3]。この新聞は、センセーショナルな内容で知られる「孤立主義的で保守的な」新聞となった[4][5]。1949年、マコーミックは姪のルース・"バジー"・マコーミック・ミラー(英語版)を発行人に任命した[6]。しかし、ミラーと編集者の一人であるガービン・タンカズリーとの関係や、編集権をめぐって二人の間に亀裂が生じ、マコーミックはミラーにタンカズリーと新聞社のどちらかを選ぶように命じた。その結果、ミラーはタンカズリーと駆け落ちして、タイムズ=ヘラルド紙を辞めてしまった。後に彼女は、「タイムズ=ヘラルドに行ったとき、私は全権を握ることになるものと思っていました。しかし、支配権は私には与えられませんでした。私たちの政治的信条には違いがあります。私は共和党よりの(マコーミックよりも)広い視点を持っています」と語った[4]

マコーミックはこの新聞を自分で経営しようとしたが、損失を出し、1954年に『ワシントン・ポスト』に売却した[3][5]。売却を発表したとき、同紙の役員がミラー(当時はバジー・タンカズリー)にも買収の機会を与えるように主張した。マコーミックは48時間の猶予を設け、タンカズリーに1千万ドルでの買収を提示したが、タンカズリーは期限内に資金を調達できなかった。1954年3月、タイムズ=ヘラルド紙はポスト紙のオーナーであるフィル・グラハムに買収された[7]。しばらくの間、統合後の新聞は『ワシントン・ポスト・アンド・タイムズ=ヘラルド』を正式名称としていたが、「・アンド・タイムズ=ヘラルド」の文字が段々小さくなり、1973年に完全に消滅した。

著名な編集スタッフ

1951年、大学卒業後のジャクリーン・リー・ブーヴィエ(後のジョン・F・ケネディの妻ジャクリーン・ケネディ)が記者として入社し、同僚が主催したパーティーの場で、当時下院議員だったジョン・F・ケネディと出会っている。

また、ジョン・F・ケネディの妹のキャスリーン・ケネディも1941年にリサーチ・アシスタントとして入社し、その後、コラムを寄稿するようになった。

脚注

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注釈

  1. ^ シカゴ・トリビューン』、『ニューヨーク・デイリーニューズ』のオーナーであり、後にニューヨーク州ロングアイランドで『ニューズデイ』を創刊した
  2. ^ 現存する同名の新聞とは無関係。

脚注

  1. ^ Martin, Ralph G. Cissy. Simon and Schuster, 1979. ISBN 9780671225575.
  2. ^ “About The Washington times. (Washington [D.C.) 1902–1939]”. National Endowment for the Humanities. 2012年2月22日閲覧。
  3. ^ a b Warren, James (2005年3月27日). “A Complicated Person”. Chicago Tribune. 2013年4月25日閲覧。
  4. ^ a b Bernstein, Adam (2013年2月6日). “Ruth Tankersley, Tribune scion, D.C. publisher and Arabian horse breeder, dies”. Washington Post. 2013年3月25日閲覧。
  5. ^ a b “The Press: Sale of the Times-Herald”. Time. (1954年3月29日). オリジナルの2010年11月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20101116224137/http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,819679,00.html 2013年3月25日閲覧。 
  6. ^ “Ruth 'Bazy' McCormick Tankersley”. LaSalle News Tribune (2013年2月6日). 2016年3月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月25日閲覧。
  7. ^ Warren, James (1997年2月23日). “Graham's Visit Conjures Tale Of 2 Cities, 2 Strong Women”. Chicago Tribune. 2014年3月27日閲覧。

参考文献

  • Roberts, Chalmers McGeagh. The Washington Post: The First 100 Years. Boston: Houghton Mifflin, 1977. ISBN 978-0-395-25854-5.