一門衆

曖昧さ回避 この項目では、血脈相承をとる浄土真宗本願寺派において、戦国時代の一家衆の中で、特に8代蓮如と9代実如と姻戚関係にあった者について説明しています。より一般的な用法である、武家氏族を同じくする血族集団については「一門」をご覧ください。

一門衆(いちもんしゅう)とは、戦国時代において本願寺法主一家衆(庶子群)の中で、蓮如実如と姻戚関係にあった庶子をさして、特にこう呼んだ。

概要

永正13年(1516年)、第9世法主実如は自己の兄弟(すなわち蓮如の息子)を一門衆と定め、法主の補佐及び地方門徒の統括にあたらせた。後に一門衆の地位は嫡子に譲ることが可能となり、本願寺教団内部における一種の格式となった。

また、本願寺が永禄2年(1559年)に門跡と定められ、院家を設置することが許されるようになると、一門衆から院家が選ばれるようになった。だが、本願寺の東西分裂や実務にあたる役僧制度の確立に伴って次第に形骸化していった。

参考文献

  • 金龍静「一門衆」(『日本史大事典 1』(平凡社、1992年) ISBN 978-4-582-13101-7)