下河原駅

曖昧さ回避 この項目では、国鉄下河原線の下河原駅について説明しています。東武日光軌道線の下河原駅については「東武日光軌道線」をご覧ください。
下河原駅
しもがわら
Shimogawara
北府中 (3.8 km)
地図
所在地 東京都府中市南町
北緯35度39分24.3秒 東経139度27分54.3秒 / 北緯35.656750度 東経139.465083度 / 35.656750; 139.465083座標: 北緯35度39分24.3秒 東経139度27分54.3秒 / 北緯35.656750度 東経139.465083度 / 35.656750; 139.465083
所属事業者 日本国有鉄道
所属路線 武蔵野線貨物支線下河原線
キロ程 3.8 km(北府中起点)
電報略号 モカ
駅構造 地上駅
開業年月日 1920年大正9年)5月26日*
廃止年月日 1976年昭和51年)9月20日**
備考 貨物専用駅
* 1952年(昭和27年)7月1日に再開業。
** 1921年(大正10年)12月1日に一旦廃止。
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下河原駅(しもがわらえき)は、かつて東京都府中市南町にあった日本国有鉄道(国鉄)武蔵野線貨物支線(通称:下河原線)の貨物駅廃駅)である。

歴史

当駅は、多摩川で採取した砂利を国鉄中央本線国分寺駅へ運搬するために設置された貨物専用駅であった。 当駅開業以前には、東京砂利鉄道が国分寺駅 - 下河原間に砂利鉄道を敷設しており、その後、陸軍工兵隊が東京砂利鉄道を軍用鉄道として使用していた[1]

1959年昭和34年)に多摩川の砂利採取は終了したが、河原にあった石材業者がコンクリート製品を製造しており砂利の受取駅となっていた[2]

年表

駅構造

当駅の構造は不明であるが、当駅よりスイッチバックし多摩川堤防付近の砂利積み込み場まで至る引き込み線、および多摩川堤防から多摩川河川敷の砂利採石場へ繋がるトロッコ線があった[6]。砂利積み込み場には、砂利用のホッパーがあった。

輸送量

年度 発送貨物トン 到着貨物トン
1956 35,277 2,363
1960 12,756 3,716
1965 26,437 27,547
1970 28,947 29,064
  • 東京都統計年鑑各年度版

駅周辺

開業当初の当駅周辺は田園地帯と集落があるのみだったが、徐々に宅地化され廃止時点では住宅街へと変わった。

廃止後の現状

当駅跡地は、東京都立多摩職業能力開発センター府中校(旧・府中技術専門校)、府中市立心身障害者福祉センターとなっている。

隣の駅

日本国有鉄道
武蔵野線貨物支線(下河原線)
北府中駅 - (貨)下河原駅

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 益井茂夫「国鉄下河原線」『多摩のあゆみ』No88
  2. ^ a b 渡辺一策『追憶・西関東の鉄道貨物輸送』物流博物館、2014年、10頁
  3. ^ 「鉄道省告示第13号」『官報』1920年5月25日 - 国立国会図書館デジタルコレクション。なお、本資料では当駅の所在が東京府南多摩郡多摩村大字連光寺(現・東京都多摩市連光寺)下河原となっており、現在の多摩川河川敷内の府中市と多摩市の市境に存在したことになっている。
  4. ^ a b c d e 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 4 関東2、新潮社、2008年、48-49頁。ISBN 978-4-10-790022-7。 
  5. ^ 「鉄道省告示第144号」『官報』1921年10月24日 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ 1944年測量の3千地形図 - 地図・空中写真閲覧サービス(国土地理院)。下河原線、引き込み線、トロッコ線が記載されている。

関連項目

外部リンク

  • 1948年3月29日米軍撮影の空中写真 - 地図・空中写真閲覧サービス(国土地理院)
    • 写真中央下方に当駅からの引き込み線、多摩川堤防付近の砂利積み込み場およびホッパーから河川敷へ繋がるトロッコ線が見える。
  • 1974年12月21日撮影の空中写真 - 地図・空中写真閲覧サービス(国土地理院)
    • 多摩川堤防までの引き込み線が見えるが、ホッパーおよび河川敷へ繋がるトロッコ線が無くなっている。
  • 下河原砂利採取所『東京市街高架線東京上野間建設概要 : 東京市街高架線路平面図付』(国立国会図書館デジタルコレクション)
 
日本国有鉄道 下河原線(中央本線下河原支線・廃線

本線:国分寺 - 北府中 - 東京競馬場前
貨物線:北府中 - 下河原

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