井手 佐三郎(いで ささぶろう、文久2年11月10日(1862年12月30日)[1] - 大正10年(1921年)5月26日[1])は、日本の教育者。福岡市長。
経歴
筑前国上座郡池田村(現在の福岡県朝倉市)出身。1881年(明治14年)から1884年(明治17年)まで慶應義塾で学んだ[1]。卒業後は時事新報社に勤務したが、教員となり、愛知県中学校、広島県師範学校、徳島県尋常中学校に勤務した[2]。1894年(明治27年)、母校慶應義塾の教師に転じる[1]。1899年(明治32年)、茨城県中学校校長に就任[1]。1904年(明治37年)、岐阜県視学官となり、1909年(明治42年)には長崎県事務官となった[1]。
1914年(大正3年)、福岡市長に選出された。
脚注
- ^ a b c d e f 『朝倉郡郷土人物誌』pp.260-261
- ^ 『茨城人物評伝』p.138
参考文献
- 福岡県朝倉郡教育会編『朝倉郡郷土人物誌』福岡県朝倉郡教育会、1926年。
- 服部鉄石『茨城人物評伝』1902年。
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官選 | 区長 | - 郡利1878.11-1879.5.14
- 平山能忍1879.5.23-1880.4.12
- 小野新路1880.4.12-1884.4.1
- 山中立木1884.4.1-1889.4.1
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市長 | - 山中立木1889.5-1892.11
- 磯野七平1893.1-1894.12
- 奥山亨1895.5-1899.7
- 松下直美1899.8-1905.8
- 佐藤平太郎1905.9-1914.7
- 井手佐三郎1914.11-1918.11
- 久世庸夫1919.3-1924.5
- 立花小一郎1924.8-1925.8
- 時実秋穂1926.3-1930.3
- 久世庸夫1930.6-1938.1
- 河内卯兵衛1938.4-1938.8
- 畑山四男美1939.1-1946.5
- 三好弥六1946.8-1947.3
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公選 | - 三好弥六1947.4-1951.4
- 小西春雄1951.4-1956.7
- 奥村茂敏1956.9-1960.9
- 阿部源蔵1960.9-1972.9
- 進藤一馬1972.9-1986.11
- 桑原敬一1986.12-1998.12
- 山崎広太郎1998.12-2006.12.6
- 吉田宏2006.12.7-2010.12.6
- 高島宗一郎2010.12.7-
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