佐竹義喬

佐竹 義喬(さたけ よしたか、生没年不詳)は、日本の戦国時代の武将家系清和源氏の一家系・河内源氏新羅三郎義光の孫・佐竹昌義を祖とする佐竹氏常陸国戦国大名佐竹氏の一門佐竹東家3代当主。佐竹東家の当主佐竹義堅の嫡男佐竹義久の兄。通称は九郎。東義喬とも。

経歴

永禄9年(1566年)に父の後を継ぎ佐竹東家3代当主として、陸奥南方面の総指南役となる。嫡子が無かったので、弟の義久を継嗣として佐竹東家を継がす。元亀3年(1572年)頃に没した。

脚注

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五本骨扇に月丸紋佐竹東家当主(第3代)
宗家

分家・支流

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壱岐守家
岩崎分家
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西家
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