児玉魯一

児玉魯一

児玉 魯一(こだま ろいち、1887年明治20年)11月[1]6日 - 1969年昭和44年)1月24日[要出典])は、日本官僚陸軍司政長官

経歴

福岡県出身。1914年大正3年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、高等文官試験に合格した[1]。一年志願兵として入営した後、1916年(大正5年)に千葉県工場監督官補となり、同警視を経て、朝鮮総督府警察官講習所教授、同事務官、忠清南道警察部長、江原道警察部長を歴任した[1][2]。その後、台湾総督府に転じ、台湾総督高等商業学校教授となった[1]。さらに同事務官、台中州警務部長、澎湖庁長、台東庁長を務めた[1]1933年(昭和8年)、南洋庁書記官となり、1936年(昭和11年)に退官した[2]

退官後は、三菱合資会社嘱託を務め、1942年(昭和17年)からは陸軍司政長官としてボルネオ島クチン[注 1]に赴任した[3]

脚注

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注釈

  1. ^ クチン州は日本占領時期のマラヤの行政区分で、現在のマレーシアサラワク州およびブルネイに相当する領域。松永典子『「総力戦」下の人材養成と日本語敎育』 p.118(花書院、2008年)などを参照されたし。

出典

  1. ^ a b c d e 大衆人事録 1937, p. 千葉一一.
  2. ^ a b 人事興信録 1937, p. コ之部 兒(玉、林、藤、矢、山) コ一三五.
  3. ^ 人事興信録 1943, p. コ之部 兒 コ九〇.

参考文献

  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版』帝国秘密探偵社、1937年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第11版(上)』人事興信所、1937年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版(上)』人事興信所、1943年。 
三県一庁時代
澎湖列島行政庁長官
澎湖島廳島司
  • 宮内盛高1895.6.28-1896.9
  • 伊集院兼良1896.9-1897.5.27
澎湖庁長
  • 伊集院兼良1897.5.27-1897.11.30
  • 多田禎三郎1897.5.27-1899.2.14
  • 高津慎1899.2.14-1900.12.22
  • 浅田知定1900.12.22-1902.6.21
  • 小林三郎1902.6.21-1906.4.1
  • 脇本彬1906.4.1-1908.5.23
  • 横沢次郎1908.5.23-1908.6.4
  • 山田寅之助1908.8.3-1909.10.25
  • 横山虎次1909.10.25-1914.2.2
  • 沢井瀬平1914.2.2-1916.11.13
  • 相川茂郷1916.11.13-1919.5.21
  • 川中子安治郎1919.5.21-1920.10.1
高雄州澎湖郡長
  • 竹下康之1920.9.1-1923.11.22
  • 清水喜七1923.11.22-1924.12.25
  • 杉山靖憲1923.11.22-1924.12.25
澎湖庁長
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