劉芒蕩

劉 芒蕩(りゅう ぼうとう、? - 309年)は、西晋末から五胡十六国時代の人物。平陽郡(現在の山西省臨汾市)の出身。

生涯

永嘉3年(309年)7月、胡族と結託して馬蘭山で挙兵した。漢王朝の末裔であると称し、皇帝を名乗った。

支胡五斗叟・郝索らが数千の兵を率いてこれに呼応し、新豊で劉芒蕩と合流した。

9月、南陽王司馬模は乱鎮圧のために配下の淳于定を派遣した。劉芒蕩らは迎撃するも敗れ、ことごとく誅殺された。

参考文献

五胡十六国時代の国家・政権
五胡
匈奴
鮮卑
五胡以外
漢族
高句麗
丁零
その他の政権
(僭主)