原孝太郎と東京六重奏団

原孝太郎と東京六重奏団(はらこうたろうととうきょうろくじゅうそうだん)は、日本のバンド。銀巴里で演奏していた当時は日本一のコンチネンタル・タンゴバンドとも称された[1]

概要

1944年に結成される[2]NHKラジオラジオ東京の番組に出演して人気を博した[2]。1953年に訪日したダミアの伴奏がきっかけとなり、フランスへ渡る[2]。日本に戻ってからは銀巴里シャンソンの紹介を積極的に行った[2]1955年頃から主な舞台を新宿のラセーヌに移して、活躍を続けた[2]

主な伴奏

原孝太郎

原 孝太郎(はら こうたろう、1913年 - 1993年6月9日

山口県萩市出身[2]武蔵野音楽大学中退[2]。1993年6月9日没[2]

関連

出典・脚注

  1. ^ a b “美輪明宏「自由に生き抜いた人生だった」…戸川昌子さん通夜”. スポーツ報知. (2016年5月4日). https://web.archive.org/web/20160506062604/http://www.hochi.co.jp/entertainment/20160504-OHT1T50135.html 2017年2月8日閲覧。 
  2. ^ a b c d e f g h i j k 「原孝太郎」『新撰 芸能人物事典 明治~平成』日外アソシエーツ、2010年。 
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