在リヨン領事事務所(フランス語: Bureau Consulaire du Japon à Lyon、英語: Consular Office of Japan in Lyon)は、フランス南東部の主要都市リヨン郊外のヴィルールバンヌに設置されている日本の領事事務所である。
歴史
「若月通り」を示すプレート(2019年)
大日本帝国時代、当地には在リヨン日本帝国領事館(在里昂日本帝国領事館、フランス語: Consulat du Japon à Lyon、英語: Consulate of Japan in Lyon)が置かれていた。とりわけ、1920年(大正9年)から1927年(昭和2年)にかけて7年間リヨンで領事代理として奉職した若月馥次郎は、館務に精勤するだけでなくリヨンの官民とも幅広く親交しており、帰国後の1928年(昭和3年)3月に若月が享年47で没した後、彼の遺徳を偲んだリヨン市参事会は1930年(昭和5年)にリヨン市の新通りを「若月通り」(フランス語: Rue Wakatsuki)と命名するとの議案を満場一致で可決するほどであった[1]。但し、第二次世界大戦の影響で、遅くとも1945年(昭和20年)の戦争終結までにリヨンの帝国領事館は閉鎖されている。