大阪府立泉北考古資料館
大阪府立泉北考古資料館(おおさかふりつせんぼくこうこしりょうかん)は、1970年から2010年まで大阪府堺市南区にあった博物館である。2010年に堺市立泉北すえむら資料館(さかいしりつ せんぼくすえむらしりょうかん)に変わり、2016年に閉館した。
概要
周辺は、国内最大の須恵器生産地「陶邑窯跡群」の中心地域である。1961年から本格的な発掘がはじまり[1]、泉北ニュータウンの開発にともなって、500基を超える窯跡がみつかった[2]。『日本書紀』崇神天皇7年条にある「茅渟県陶邑」(ちぬのあがたのすえむら)の最有力候補地に比定されている。
出土した須恵器などを収集・保管・展示して、大阪府民の文化的向上に貢献するため、1970年(昭和45年)に大阪府立泉北考古資料館が開館した。建物は建築家の槇文彦が設計した。場所は泉北ニュータウン内の大蓮公園である[3]。
2010年(平成22年)4月1日、橋下徹知事による大阪維新プログラムによって堺市に移管され、堺市立泉北すえむら資料館に改名された[4][5]。開館日は同年4月14日。展示品は発掘された須恵器などの土器や陶器が中心であった。
2016年(平成28年)6月24日、老朽化のため、同年9月末で閉館した[6][7]。
須恵器などの2585点は堺市博物館と展示スペースがある文化財課分室(南区)で管理することになる[8][9]。
建物は、Park-PFI制度により、南海不動産を代表者とする指定管理者が管理しており、カフェなどに転用されている[10]。
出典
- ^ 中村浩『泉北丘陵に広がる須恵器生産 陶邑遺跡群』、22頁。
- ^ 中村浩『泉北丘陵に広がる須恵器生産 陶邑遺跡群』、4頁。
- ^ 中村浩『泉北丘陵に広がる須恵器生産 陶邑遺跡群』、93頁。
- ^ 大阪府立泉北考古資料館、堺市へ移管で継続 - MSN産経ニュース[リンク切れ]
- ^ 堺市立泉北すえむら資料館がオープン Archived 2012年11月25日, at the Wayback Machine.(2010年4月14日閲覧)
- ^ 堺市立泉北すえむら資料館9月閉館、老朽化で : ニュース : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)(2016年6月30日閲覧)
- ^ 堺市役所「堺市立泉北すえむら資料館は閉館いたしました」、2019年10月1日付け。2020年1月25日閲覧。
- ^ 『朝日新聞』2016年6月25日付ウェブ版「泉北すえむら資料館が閉館へ 堺市、雨漏りひどく」。
- ^ 堺市ホームページ
- ^ 大蓮公園及び旧泉北すえむら資料館管理運営事業(SUEプロジェクト) - 堺市
参考文献
- 中村浩『泉北丘陵に広がる須恵器窯 陶邑遺跡群』(シリーズ「遺跡を学ぶ028」)、新泉社、2006年。
座標: 北緯34度29分31.5秒 東経135度30分39.4秒 / 北緯34.492083度 東経135.510944度 / 34.492083; 135.510944