小川清一
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 大分県別府市 |
生年月日 | (1952-07-28) 1952年7月28日(72歳) |
身長 体重 | 179 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1970年 ドラフト6位 |
初出場 | 1973年4月25日 |
最終出場 | 1979年10月20日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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小川 清一(おがわ せいいち、1952年7月28日 - )は、大分県別府市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。登録名を、小川 精一とする資料もある[2]。
来歴・人物
大分商業高校では1970年、エースとして春季九州大会決勝に進むが、宮崎日大高に延長12回裏サヨナラ負け。同年夏は中九州大会決勝で津久見高の橘健治らに投げ勝ち、第52回全国高等学校野球選手権大会に出場。この大会では、1回戦の九州工(福岡)戦で市橋秀彦投手と延長15回の投手戦を展開、5-1で勝利する。2回戦の日大一高(東京)戦でも、保坂英二投手に投げ勝ち完投勝利。しかし準々決勝ではPL学園(大阪)の新美敏、田代克業(中大-本田技研)両投手の継投・好投に屈し、0-7で完封負けを喫した[1]。同年秋の岩手国体では、決勝でPL学園に1-2で惜敗し、準優勝に留まる。住友金属に内定していたが同年のドラフト会議で、阪神タイガースの6位指名を受け、入団[1]。
3年目の1973年に一軍に上がり、翌1974年は中継ぎで22試合に登板した。同年暮れ、鈴木皖武・上辻修・森山正義・平山英雄と共に、池辺巌・井上圭一との5-2の交換トレードでロッテオリオンズに移籍[1]。オリオンズでも主に中継ぎとして活躍し、1975年には初勝利を記録。1977年には4月から6試合に先発としても起用される。1979年オフ、小俣進・庄司智久・田村勲との交換トレードで古賀正明と共に3チーム目の読売ジャイアンツに移籍するが、登板機会に恵まれず[1]、1980年限りで現役引退。その後もチームに残り、1年ほど打撃投手を務めた。
右オーバースロー、速球主体の本格派でストレートとカーブが得意球、スライダー、シュート、パームボールも投げた。但し、パームボールについては阪神時代に小山正明より教わったが、実戦で生かされないままだった。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1973 | 阪神 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | ---- | 50 | 12.0 | 11 | 1 | 3 | 0 | 0 | 9 | 0 | 0 | 5 | 4 | 3.00 | 1.17 |
1974 | 22 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 126 | 30.0 | 23 | 6 | 13 | 1 | 2 | 15 | 1 | 1 | 16 | 15 | 4.50 | 1.20 | |
1975 | ロッテ | 15 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | -- | .500 | 167 | 38.1 | 36 | 7 | 16 | 0 | 2 | 19 | 1 | 2 | 27 | 25 | 5.92 | 1.36 |
1976 | 8 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 105 | 26.1 | 25 | 1 | 7 | 0 | 1 | 9 | 0 | 1 | 9 | 6 | 2.08 | 1.22 | |
1977 | 15 | 6 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | -- | .500 | 185 | 39.2 | 47 | 3 | 19 | 0 | 2 | 22 | 2 | 0 | 34 | 22 | 4.95 | 1.66 | |
1978 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 98 | 24.0 | 18 | 1 | 7 | 0 | 0 | 14 | 1 | 0 | 10 | 9 | 3.38 | 1.04 | |
1979 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 18 | 4.0 | 5 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 4.50 | 1.75 | |
通算:7年 | 75 | 9 | 0 | 0 | 0 | 6 | 3 | 0 | -- | .667 | 749 | 174.1 | 165 | 20 | 67 | 1 | 7 | 88 | 5 | 4 | 104 | 83 | 4.29 | 1.33 |
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
- 初登板:1973年4月25日、対読売ジャイアンツ2回戦(後楽園球場)、7回裏から5番手で救援登板・完了、2回無失点
- 初先発出場:1975年4月12日、対近鉄バファローズ前期1回戦(日本生命球場)、6番・指名打者で先発出場 ※偵察メンバー、ジム・ラフィーバーに交代
- 初勝利:1975年4月22日、対太平洋クラブライオンズ前期4回戦(平和台球場)、6回裏2死から4番手で登板、1回1/3無失点
- 初先発登板:1975年6月18日、対日本ハムファイターズ前期11回戦(後楽園球場)、1回0/3を3失点で敗戦投手
- 初先発勝利:1976年8月24日、対日本ハムファイターズ後期7回戦(川崎球場)、8回2失点
背番号
- 54(1971年 - 1974年)
- 45(1975年 - 1976年)
- 11(1977年 - 1979年)
- 46(1980年)
- 92(1981年)
脚注
- ^ a b c d e プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、122ページ
- ^ 資料の誤記であるか実際に用いられたか不明。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 小川清一 - NPB.jp 日本野球機構