御所藩

御所藩(ごせはん)は、大和国葛上郡葛下郡和泉国日根郡の一部などを支配した。現在の奈良県御所市御所にあった[1]

藩史

慶長元年(1596年)、桑山重晴の次男・桑山元晴は父の4万石の所領のうち1万石を継承した。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおいて元晴は東軍に与し、西軍の大谷吉継隊との戦いで武功を挙げたため、戦後に2000石を与えられ1万2000石の大名として、御所藩を立藩した。その後、2000石ほどを父の隠居料として分与したため、1万石となる。

慶長11年(1606年)に父が死去すると、その隠居料のうち6000石を与えられた。さらに慶長14年(1609年)には長男の桑山清晴の所領であった和泉谷川藩領も、改易のときにその所領1万石を継ぐことを許されたため、御所藩の所領は2万6000石となった。

元晴は大坂の陣においても徳川方として奮戦し、戦後は高力忠房と共に大坂方の残党狩りを務めた。元晴は元和6年(1620年)に死去し、跡を次男の桑山貞晴が継ぐが、貞晴は嗣子の無いまま寛永6年(1629年)に死去する。貞晴は弟の桑山栄晴を末期養子として継がせようとしたが認められず、御所藩は廃藩、その所領は幕府領となった。

その後、栄晴は500俵扶持の旗本として名跡存続だけは許された。

歴代藩主

桑山家

外様。1万2000石→1万石→1万6000石→2万6000石。

  1. 桑山元晴
  2. 桑山貞晴

脚注

  1. ^ 二木謙一監修・工藤寛正編「国別 藩と城下町の事典」東京堂出版、2004年9月20日発行(438ページ)
大政奉還から廃藩置県までの間に存在した
慶応3年(1867年)旧暦10月 - 明治4年(1871年)旧暦7月
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関連項目
藩庁の置かれた地域を基準に分類しているが、他の地方に移転している藩もある。順番は『三百藩戊辰戦争事典』による。
明治期の変更: ★=新設、●=廃止、○=移転・改称、▲=任知藩事前に本藩に併合。()内は移転・改称・併合後の藩名。()のないものは県に編入。