| 新條 宏喜 | | |
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名前 |
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カタカナ | シンジョウ ヒロキ |
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ラテン文字 | SHINJO Hiroki |
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基本情報 |
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国籍 | 日本 |
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生年月日 | (1973-04-28) 1973年4月28日(51歳) |
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出身地 | 東京都国立市 |
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身長 | 178cm |
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体重 | 73kg |
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選手情報 |
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ポジション | MF、DF |
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利き足 | 右足 |
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ユース |
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1989-1991 | 堀越学園高校 |
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1992-1995 | 中央大学 |
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クラブ1 |
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年 | クラブ | 出場 | (得点) |
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1996-1999 | 東京ガス/FC東京 | 110 | (6) |
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通算 | | 110 | (6) |
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
新條 宏喜(しんじょう ひろき、1973年4月28日 - )は東京都出身の元サッカー選手。選手時代のポジションはミッドフィールダー(主にボランチ)、ディフェンダー(主に右サイドバック)。
来歴
中央大学で全日本大学サッカー選手権(インカレ)優勝を経験し、1995年には大学選抜としてユニバーシアードに出場[1]。
1996年に東京ガスに入社し、大学時代に指導を受けた大熊清が監督を務める同社サッカー部(現FC東京)に社員選手として加入。小池知己から右サイドバックのポジションを奪い[2]、1年目からレギュラーに定着。全試合にフル出場し、同年のJFL新人王とベストイレブンを受賞した。後に岡島清延に代わる形でボランチに配される[3] ようにもなり、登録をDFからMFに変更。主に浅利悟とコンビを組んだ。1998年のシーズンからは先発メンバーで出場はするが途中で交代となることが増え始め、1999年のJ2初年度にはさらにその傾向が強まった。FC東京のJ1昇格に貢献したものの、その年12月に戦力外を言い渡され東京ガスの社業に専念することになり、高校・大学・東京ガスで共にプレーし、仲の良かった奥原崇と時を同じくしてサッカー選手として現役を引退、J1でのプレーは叶わなかった。
所属クラブ
個人成績
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 |
1993 | 中大 | | | - | - | 2 | 0 | 2 | 0 |
1996 | 東京ガス | 4 | 旧JFL | 30 | 3 | - | 3 | 0 | 33 | 3 |
1997 | 6 | 28 | 3 | - | 6 | 1 | 34 | 4 |
1998 | 26 | 0 | - | 3 | 2 | 29 | 2 |
1999 | FC東京 | J2 | 26 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 30 | 0 |
通算 | 日本 | J2 | 26 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 30 | 0 |
日本 | 旧JFL | 84 | 6 | - | 12 | 3 | 96 | 9 |
日本 | 他 | - | - | 2 | 0 | 2 | 0 |
総通算 | 110 | 6 | 3 | 0 | 15 | 3 | 128 | 9 |
個人タイトル
脚注
- ^ 競技結果・サッカー (試合番号:48) FINAL TOURNAMENT 第18回ユニバーシアード大会1995福岡
- ^ 荒川裕治『FC東京の挑戦』小学館、2001年、182頁。
- ^ 荒川裕治『FC東京の挑戦』小学館、2001年、115頁。
関連項目
外部リンク