林完
林 完 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 임완 |
漢字: | 林完 |
日本語読み: | りんかん |
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林 完(りん かん、朝鮮語: 임완、生没年不詳)は、高麗王朝の文臣。高麗王朝に帰化していた中国宋人[1]。
人物
1114年、文科及第、礼部員外郎に任命。仁宗が寿昌宮の隣に設置した書籍所の顧問となり、国子司業知制誥に任命される[1]。1135年、妙清が民を惑わし、西京に大華宮を建立するために民を苦しめている、と仁宗に妙清の処刑を上訴した[1]。
脚注
- ^ a b c “임완 林完,?~?”. 斗山世界大百科事典. オリジナルの2022年9月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220920231356/https://www.doopedia.co.kr/doopedia/master/master.do?_method=view&MAS_IDX=101013000763940