榛澤成清

榛澤 成清(はんざわ なりきよ、生年不詳 - 元久2年6月22日(1205年7月10日))は、鎌倉時代武将畠山重忠の家臣。通称六郎

略歴

父は丹党の新里成房。『源平盛衰記』によると成清の母親は畠山の乳母とあるため、重忠と乳兄弟であったと考えられている。成清は1156年源義朝に従い保元の乱1159年畠山重能に従い平治の乱に従軍している[1]1205年畠山重忠の乱で討死した [2]埼玉県深谷市には現在も指定旧跡として榛沢六郎成清館・供養塔が残っている。

脚注

  1. ^ “榛沢六郎成清”. 深谷市. 2022年9月13日閲覧。
  2. ^ 平凡社 1935, p. 2358.

参考文献

  • 『日本史蹟大系-5』(平凡社、1935年、2358p)

外部リンク

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