津守国基

 
凡例
津守国基
時代 平安時代後期
生誕 治安3年(1023年
死没 康和4年7月17日(1102年7月28日
官位 従五位下
主君 後冷泉天皇後三条天皇白河天皇
氏族 津守氏
父母 父:津守基辰または津守信国[1]または津守忠康[2]、母:津守頼信娘
広基、有基、宣基、増命、仲基、景基
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津守 国基(つもり の くにもと)は、平安時代後期の貴族神官歌人。津守基辰または津守信国または津守忠康の子。位階従五位下。住吉神社神主。藤井(戸)神主と号す。

経歴

康平3年(1060年住吉神社の39代神主となり[3]、神社経営に成果を挙げた。延久元年(1069年)従五位下に叙せられている。

応徳元年(1084年白河天皇勅願により荘厳浄土寺を再興[4][5]

広く京の歌人たちと交流し、歌合にも盛んに参加していた。『万葉集』を重んじるなど当時としては新しい試みを行っている。『後拾遺和歌集』の撰者通俊小鯵を送って入集を願ったので後拾遺集は小鯵集の異名で呼ばれたという逸話が残されている[3]。『後拾遺和歌集』(3首)以下の勅撰和歌集に和歌20首が入集している[2]。また、家集に『津守国基集』(『国基集』)がある。箏にも優れていた[6]だけでなく、競馬の騎者、神楽の人長[7]・舞の師として各方面から重宝がられた[3]

系譜

  • 父:津守基辰または津守信国[1][8]
  • 母:津守頼信の娘
  • 妻:不詳

脚注

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  1. ^ a b 「住吉系図」(太田亮『姓氏家系大辞典』所収)、『津守氏系図』(東京大学史料編纂所蔵)による。
  2. ^ a b 『勅撰作者部類』
  3. ^ a b c d e f g h 上野理 1962.
  4. ^ 歴史年表 - 住吉大社
  5. ^ 荘厳浄土寺境内遺跡発掘調査 - 大阪文化財研究所 (PDF)
  6. ^ 「住吉社神主并一族系図」(『続群書類従』巻第181 所収)
  7. ^ にんじょう。宮廷の神楽の時の舞人の長。ふつう近衛舎人がつとめる。 - 新潮社『新潮国語辞典』新装改訂版第8刷(1993年)より
  8. ^ 住吉系図・津守氏系図では頼信の子に信国をあげていることから、国基は伯父にあたる信国の養子になったとも考えられる。
  9. ^ a b 南谷美保「住吉大社と雅楽:その演奏環境に関する歴史的考察」(PDF)『四天王寺国際仏教大学紀要』第44号、四天王寺国際仏教大学、2006年、397-426頁、ISSN 13490850、CRID 1520572357145237504。 }
  10. ^ 承暦元年閏12月はユリウス暦1078年1月17日から始まる。
  11. ^ 野口実「中世成立期の安房国 : 源頼朝上陸の背景」『研究紀要』第030巻、京都女子大学宗教・文化研究所、2017年3月、29-46頁、ISSN 0914-9988、CRID 1050001337578627072。 

参考文献

  • 上野理「津守国基について」『国文学研究』第26巻、早稲田大学国文学会、1962年10月、25-34頁、ISSN 0389-8636、CRID 1050282677456874880。 
  • 大阪市文化財協会『荘厳浄土寺境内遺跡発掘調査報告 : 大阪市住吉区 : 大阪市健康福祉局による建設工事に伴う発掘調査報告書』大阪市文化財協会、2004年。ISBN 4900687782。全国書誌番号:20642464。https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007445445-00 

関連項目

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