航海練習所
航海練習所(こうかいれんしゅうじょ)は、1930年(昭和5年)に文部省内に設置された公立商船学校の共同利用施設[1]。
概要
昭和初期において日本の商船教育機関には、官立商船学校として東京高等商船学校(大成丸を保有)と神戸高等商船学校(進徳丸を保有)の2校があり、また公立商船学校として11校あった[1]。このうち地方の公立商船学校で練習船を保有していたのは5校のみで、しかも小型の木造船だったため練習船の海難事故も多かった[1]。
1927年(昭和2年)3月9日に発生した鹿児島県立商船水産学校の練習船「霧島丸」の事故後、公立商船高校の関係者が政府などに働きかけ、1930年に帆船練習船の「日本丸」と「海王丸」が誕生した[1]。航海練習所は両船の管理運営を行う公立商船学校の共同利用施設として文部省内に設置された[1]。
その後は商船学校の廃止が進み、1936年(昭和11年)時点で7校を対象とした[2]。
船員の効率的養成のため練習船の統合が行われ、日本丸、海王丸、大成丸、進徳丸が逓信省に設置された航海訓練所により運航されることになり廃止された[2]。
沿革
- 1930年6月1日(昭和5年)、すでに文部省に引き渡されていた日本丸、海王丸の管理と生徒の練習のため、文部省構内に航海練習所[3]の事務所を設置。
- 1943年1月(昭和18年)より文部省所管の航海練習所の練習船「日本丸」、「海王丸」が逓信省所管に。(公立商船学校は1942年1月から文部省から逓信省に移管[4])
- 1943年4月(昭和18年)逓信省航海訓練所設立。
練習船
- 日本丸 (初代) - 帆船
- 海王丸 (初代) - 帆船