遠藤光男
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遠藤 光男(えんどう みつお、1930年(昭和5年)9月13日 - 2016年(平成28年)5月16日)は日本の法曹。元最高裁判所裁判官、弁護士。位階は正三位。
略歴
1930年(昭和5年)9月13日、東京に生まれる。1952年(昭和27年)に法政大学法学部を卒業し、司法試験に合格する。大在学中は法政大学弁論部に在籍し活動した。1955年(昭和30年)に弁護士登録し、法政大学の講師を兼務する。1981年(昭和56年)、司法研修所民事弁護教官を務め、1984年(昭和59年)に法制審議会委員に就任する。1986年(昭和61年)に東京弁護士会司法修習委員長、1988年(昭和63年)に日弁連司法修習委員長を務める。
1995年(平成7年)2月13日に最高裁判所判事に任命され、2000年(平成12年)9月12日に退官する。法政大学出身の最高裁判事は、小谷勝重に次ぎ2人目である。また、2001年(平成13年)に法律扶助協会会長を務める。
2016年(平成28年)5月16日、くも膜下出血のため死去[3]。85歳没。叙正三位[4]。
主な裁判
日本新党繰上補充事件、愛媛県靖国神社玉串料訴訟、東電OL殺人事件など。
参考
- 『日本紳士録 第80版』(ぎょうせい、2007)
脚注
外部リンク
- 最高裁判所判事一覧表
- 47NEWS-4605人に秋の叙勲 - ウェイバックマシン(2016年8月10日アーカイブ分)
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