| この項目では、バレーボール選手について説明しています。刑法学者については「斎藤信治」をご覧ください。 |
| 齋藤 信治 Nobuharu Saito
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基本情報 |
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国籍 | 日本 |
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生年月日 | (1973-09-29) 1973年9月29日(50歳) |
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出身地 | 栃木県今市市(現・日光市) |
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ラテン文字 | Nobuharu Saito |
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身長 | 205cm |
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体重 | 95kg |
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選手情報 |
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愛称 | ノブ |
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ポジション | MB |
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指高 | 265cm |
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利き手 | 右 |
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スパイク | 345cm |
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ブロック | 330cm |
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齋藤 信治(さいとう のぶはる、1973年9月29日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。
来歴・人物
栃木県今市市出身。
父親は185cm、母親は175cm、妹は186cm、曾祖父は190cmあったという。
宇都宮白楊高校時代は無名選手であったが、日本体育大学に入学すると猛練習で成長しインカレでも活躍する。
その後、1996年東レアローズに入団し、2m超の高身長を武器にVリーグで活躍。オポジットとしてプレーしていたが、2000-2001シーズンよりチーム事情でミドルブロッカーにコンバートされた。全日本代表にも何度も選ばれ、国際大会でも活躍したが、2008年北京オリンピック出場をもって現役引退した。
現役引退後は、東レ建設での社業を行いながら[1]、バレーボールの普及活動に努めている[2]。
ノブコフの愛称は朝日健太郎によって名づけられた。1999年のワールドカップではさらにインパクトをつけるために彼の身長である205(cm)を愛称につなげ、ノブコフ205をキャッチフレーズとしてテレビ放送で使用した。
球歴
- 日本代表 - 1995-1997、1999、2001、2003-2008年
受賞歴
所属チーム
脚注
- ^ “MINATOシティハーフマラソン2023にプラチナパートナーとして協賛します。|お知らせ|会社情報|東レ建設株式会社”. www.toray-tcc.co.jp. 2024年2月9日閲覧。
- ^ “「チームで協力する楽しさ味わった」体育の出張授業 | ニュース一覧 | TORAY”. 東レ株式会社 [TORAY]. 2024年2月9日閲覧。
外部リンク
Vリーグ男子ベスト6 |
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Vリーグ | |
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プレミア リーグ | |
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V.LEAGUE DIVISION1 | |
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バレーボール全日本男子 |
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バレーボール全日本男子 - 1995 ワールドカップ |
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バレーボール全日本男子 - 1999 ワールドカップ |
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バレーボール全日本男子 - 2000 シドニー五輪 世界最終予選 |
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バレーボール全日本男子 - 2004 アテネ五輪 世界最終予選 |
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バレーボール全日本男子 - 2005 グラチャン |
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バレーボール全日本男子 - 2006 世界選手権 |
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バレーボール全日本男子 - 2008 北京五輪 世界最終予選 |
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バレーボール全日本男子 - 2008 北京五輪 |
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