1927年の相撲
1927年 こちらもご覧下さい |
---|
各年のスポーツ |
1925年 1926年 1927年 1928年 1929年 |
競輪 |
1925年 1926年 1927年 1928年 1929年 |
サッカー |
1925年 1926年 1927年 1928年 1929年 |
自転車競技 |
1925年 1926年 1927年 1928年 1929年 |
相撲 |
1925年 1926年 1927年 1928年 1929年 |
日本競馬 |
1925年 1926年 1927年 1928年 1929年 |
バスケットボール |
1925年 1926年 1927年 1928年 1929年 |
バレーボール |
1925年 1926年 1927年 1928年 1929年 |
野球 |
1925年 1926年 1927年 1928年 1929年 |
■ヘルプ |
|
1927年の相撲(1927ねんのすもう)は、1927年の相撲関係のできごとについて述べる。
できごと
本場所
- 1月場所
- 3月場所
- 5月場所
- 幕内最高優勝:常ノ花寛市(出羽海部屋) - 10勝1敗(2場所連続5回目)[3]
- 10月場所
- 幕内最高優勝:常ノ花寛市(出羽海部屋) - 10勝1敗(3場所連続6回目)[3]
誕生
- 1月7日 - 鳳龍一雄(最高位:十両5枚目、所属:立浪部屋、+ 1959年【昭和34年】)
- 1月7日 - 黒田山昭二(最高位:十両14枚目、所属:立浪部屋)
- 2月1日 - 大瀬川半五郎(最高位:前頭6枚目、所属:伊勢ヶ濱部屋→荒磯部屋→伊勢ヶ濱部屋、+ 没年不詳)[4]
- 2月18日 - 大龍志郎(最高位:前頭19枚目、所属:二所ノ関部屋→湊川部屋→二所ノ関部屋)[5]
- 2月23日 - 若國一男(最高位:十両11枚目、所属:伊勢ヶ濱部屋→荒磯部屋、+ 1989年【昭和64年】)
- 3月30日 - 大日山廣司(最高位:十両11枚目、所属:双葉山道場→時津風部屋)
- 5月21日 - 二所錦照生(最高位:十両13枚目、所属:二所ノ関部屋)
- 5月30日 - 宮錦浩(最高位:小結、所属:芝田山部屋→高田川部屋→高砂部屋、+ 1992年【平成4年】)[6]
- 6月2日 - 七瀬川秀雄(最高位:十両10枚目、所属:時津風部屋)
- 9月24日 - 大晃定行(最高位:小結、所属:出羽海部屋、+ 1996年【平成8年】)[7]
- 9月29日 - 瀧見山延雄(最高位:十両4枚目、所属:二所ノ関部屋)
- 10月10日 - 琴ヶ濵貞雄(最高位:大関、所属:二所ノ関部屋→佐渡ヶ嶽部屋、+ 1981年【昭和56年】)[7]
- 10月18日 - 七ッ海操(最高位:前頭12枚目、所属:立浪部屋、+ 1994年【平成6年】)[8]
- 10月22日 - 26代式守伊之助(元・立行司、所属:春日野部屋、+ 1994年【平成6年】)[9]
- 10月25日 - 三郎(元・一等呼出、所属:花籠部屋→放駒部屋、+ 2021年【令和3年】)
- 11月19日 - 吉田川清四郎(最高位:前頭13枚目、所属:音羽山部屋→双葉山道場→時津風部屋)[7]
死去
- 1月7日 - 九州山十郎(最高位:大関、所属:出羽ノ海部屋→入間川部屋、年寄:稲川、* 1889年【明治22年】)[10]
- 5月16日 - 八嶌山平八郎(最高位:前頭2枚目、所属:井筒部屋、年寄:浅香山、* 1874年【明治7年】)[11]
- 5月24日 - 鬼風一男(最高位:前頭7枚目格付出(大阪大関)(現役没)、所属:出羽海部屋、* 1899年【明治32年】)[1]
- 9月2日 - 2代梅ヶ谷藤太郎(第20代横綱、所属:雷部屋、年寄:雷、* 1878年【明治11年】)[12]
- 9月15日 - 小常陸由太郎(最高位:関脇、所属:出羽ノ海部屋、年寄:秀ノ山、* 1886年【明治19年】)[13]
- 10月27日 - 綾浪源鋭(最高位:関脇、所属:追手風部屋→高砂部屋→追手風部屋、年寄:湊川、* 1881年【明治14年】)[14]
脚注
注釈
出典
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 55頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 49頁
- ^ a b c d 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 313頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 136頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 133頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 131頁
- ^ a b c 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 126頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 135頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 361頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 36頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 18頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 6頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 16頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 20頁
相撲 | |||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
大相撲 |
| ||||||||||||||||||||||||||||||
アマチュア 相撲 | |||||||||||||||||||||||||||||||
世界の相撲 | |||||||||||||||||||||||||||||||
各種相撲 | |||||||||||||||||||||||||||||||
相撲用語 |
| ||||||||||||||||||||||||||||||
団体・施設 | |||||||||||||||||||||||||||||||
関連項目 | |||||||||||||||||||||||||||||||
カテゴリ |
昭和の大相撲 | |
---|---|
| |
1927年(昭和2年)0 | |
1928年(昭和3年)0 | |
1929年(昭和4年)0 | |
1930年(昭和5年)0 |
|
1931年(昭和6年)0 |
|
1932年(昭和7年)0 |
|
1933年(昭和8年)0 |
|
1934年(昭和9年)0 |
|
1935年(昭和10年) |
|
1936年(昭和11年) |
|
1937年(昭和12年) |
|
1938年(昭和13年) |
|
1939年(昭和14年) |
|
1940年(昭和15年) |
|
1941年(昭和16年) |
|
1942年(昭和17年) |
|
1943年(昭和18年) |
|
1944年(昭和19年) |
|
1945年(昭和20年) |
|
1946年(昭和21年) |
|
1947年(昭和22年) |
|
1948年(昭和23年) |
|
1949年(昭和24年) |
|
1950年(昭和25年) |
|
1951年(昭和26年) |
|
1952年(昭和27年) |
|
1953年(昭和28年) |
|
1954年(昭和29年) |
|
1955年(昭和30年) |
|
1956年(昭和31年) |
|
1957年(昭和32年) |
|
1958年(昭和33年) |
|
1959年(昭和34年) |
|
1960年(昭和35年) |
|
1961年(昭和36年) |
|
1962年(昭和37年) |
|
1963年(昭和38年) |
|
1964年(昭和39年) |
|
1965年(昭和40年) |
|
1966年(昭和41年) |
|
1967年(昭和42年) |
|
1968年(昭和43年) |
|
1969年(昭和44年) |
|
1970年(昭和45年) |
|
1971年(昭和46年) |
|
1972年(昭和47年) |
|
1973年(昭和48年) |
|
1974年(昭和49年) |
|
1975年(昭和50年) |
|
1976年(昭和51年) |
|
1977年(昭和52年) |
|
1978年(昭和53年) |
|
1979年(昭和54年) |
|
1980年(昭和55年) |
|
1981年(昭和56年) |
|
1982年(昭和57年) |
|
1983年(昭和58年) |
|
1984年(昭和59年) |
|
1985年(昭和60年) |
|
1986年(昭和61年) |
|
1987年(昭和62年) |
|
1988年(昭和63年) |
|
1昭和21年6月場所は両国国技館の修理工事遅延の影響により中止。 |
この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。 |
- 表示
- 編集