1940年の名古屋金鯱軍
1940年の名古屋金鯱軍 | |
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成績 | |
日本野球連盟7位 34勝63敗7分 勝率.351[1] | |
本拠地 | |
都市 | 愛知県愛知郡鳴海町 |
球場 | 鳴海球場 |
球団組織 | |
経営母体 | 名古屋新聞社 |
監督 | 石本秀一 |
« 1939 | |
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1940年の名古屋金鯱軍(1940ねんのなごやきんこぐん)では、1940年シーズンの名古屋金鯱軍の動向をまとめる。
この年の名古屋金鯱軍は、石本秀一が1年だけ監督を務めたシーズンである。相次ぐ招集により選手不足に陥っていた名古屋金鯱軍は、この年のシーズンオフに翼軍と対等合併し、翌年から大洋軍になったため、名古屋金鯱軍として最後のシーズンである。
チーム成績
レギュラーシーズン
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
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優勝 | 東京巨人軍 | 76 | 28 | 0 | .731 | - |
2位 | 阪神軍 | 64 | 37 | 3 | .634 | 10.5 |
3位 | 阪急軍 | 61 | 38 | 5 | .616 | 12.5 |
4位 | 翼軍 | 56 | 39 | 10 | .589 | 15.5 |
5位 | 名古屋軍 | 58 | 41 | 5 | .586 | 15.5 |
6位 | 黒鷲軍 | 46 | 54 | 4 | .460 | 28.0 |
7位 | 名古屋金鯱軍 | 34 | 63 | 7 | .351 | 38.5 |
8位 | 南海軍 | 28 | 71 | 6 | .283 | 45.5 |
9位 | ライオン軍 | 24 | 76 | 4 | .240 | 50.0 |
できごと
この年も中山がエースとして奮闘したが、次ぐ招集により選手不足により弱体化したこともあり、シーズン29敗のプロ野球記録を作ることとなった。
選手・スタッフ
名古屋金鯱軍 1940 | |
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監督 |
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投手 | |
捕手 | |
内野手 | |
外野手 |
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出典
[脚注の使い方]
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日本野球連盟 | |||||||||
優勝 | 東京巨人軍 | 2位 | 大阪タイガース(阪神軍) | 3位 | 阪急軍 | 4位 | 東京セネタース(翼軍) | ||
5位 | 名古屋軍 | 6位 | イーグルス(黒鷲軍) | 7位 | 名古屋金鯱軍 | 8位 | 南海軍 | 9位 | ライオン軍 |
各年の名古屋金鯱軍 | |||||||||||
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1930年代 | |||||||||||
1940年代 |
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この項目は、野球に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球/P野球)。 |
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