2002年ドイツ連邦議会選挙

2002年ドイツ連邦議会選挙
Bundestagswahl 2002
ドイツ
1998年 ←
2002年9月22日
→ 2005年

連邦議会 全603議席
投票率 79.1%(減少3.1%)
  第1党 第2党 第3党
 
党首 ゲアハルト・シュレーダー エドムント・シュトイバー ヨシュカ・フィッシャー
政党 SPD CDU/CSU B90/GRÜNE
党首就任 1999年3月12日 1999年10月9日 2001年5月4日
前回選挙 298議席、40.9% 245議席、35.2% 47議席、6.7%
獲得議席 251 248 55
議席増減 減少 47 増加 3 増加 8
得票数 18,488,668 18,482,641 4,110,355
得票率 38.5% 38.5% 8.6%
得票率増減 減少 2.4% 増加 3.3% 増加 1.9%

  第4党 第5党
 
党首 ギド・ヴェスターヴェレ ガブリエレ・ツィンマー
政党 FDP PDS
党首就任 2001年5月4日
前回選挙 43議席、6.3% 36議席、5.1%
獲得議席 47 2
議席増減 増加 4 減少 34
得票数 3,538,815 1,916,702
得票率 7.4% 4.0%
得票率増減 増加 1.1% 減少 1.1%

党派別獲得選挙区分布図

選挙前首相

ゲアハルト・シュレーダー
SPD

選出首相

ゲアハルト・シュレーダー
SPD

2002年ドイツ連邦議会選挙(2002ねんドイツれんぽうぎかいせんきょ)は、ドイツ連邦共和国下院にあたる連邦議会議員を選出するために2002年9月に行われたドイツにおける選挙である。

概要

この選挙では、1998年の選挙で発足した社会民主党 (SPD)・同盟90/緑の党 (B90/G) の連立(赤緑連合)によるゲアハルト・シュレーダー政権の継続か、キリスト教民主同盟キリスト教社会同盟 (CDU / CSU) の政権復帰かが大きな争点となった。赤緑連合とCDU / CSUによる大接戦となったが、最終的に赤緑連合が僅差で政権を維持することに成功した。

選挙データ

  • 投票日2002年9月22日
  • 首相:ゲアハルト・シュレーダー(社会民主党)……同盟90/緑の党との連立政権(赤緑連合)
  • 連邦議会議員定数:598議席(小選挙区299議席)……超過議席のため選挙ごとに変動する。
  • 選挙制度:比例代表制(小選挙区比例代表併用制
    • 全体の議席は第2投票(政党名簿への投票)の得票に基づいた比例配分で決定されるが、少数政党の乱立を防止する観点から、(1) 第2投票で有効得票の5%以上を獲得、(2) 第1投票(選挙区候補者への投票)で3人以上の当選者を出した、いずれかの要件を満たした政党にのみ議席配分が行われる。なお、選挙区議席が比例配分議席を上回った場合は超過議席となる。
  • 選挙権被選挙権:満18歳以上のドイツ国民

選挙結果

  • 有権者数:61,432,868名
  • 投票率:79.1%
  • 投票者数:48,582,761名
  • 有効票数:47,841,724票
党派別議席数及び得票数・率[1](当選者を出した政党と公的助成対象政党[2]のみ記載)
党派 候補者投票 政党投票 議席数[3]
得票数 % 得票 % 全体
議席
(選挙区)
ドイツ社会民主党(SPD) 20,059,967 41.9 18,488,668 38.5 251 171
CDU/CSU[4] ドイツキリスト教民主同盟 (CDU) 15,336,512 32.1 14,167,561 29.5 190 82
キリスト教社会同盟 (CSU) 4,311,178 9.0 4,315,080 9.0 58 43
CDU/CSU 小計 19,647,690 41.1 18,482,641 38.5 248 125
同盟90/緑の党(B90/Gr) 2,693,794 5.8 4,110,355 8.6 55 1
自由民主党(FDP) 2,752,796 5.8 3,538,815 7.4 47 0
民主社会党 (PDS) 2,079,203 4.3 1,916,702 4.0 2 2
シル党(Schill)[5] 120,330 0.3 400,476 0.8 0 0
共和党 (REP) 55,947 0.1 280,671 0.6 0 0
議席合計 603 299

SPD と CDU/CSU の得票率が共に 38.5% で並ぶほどの大接戦となったが、SPD が超過議席で CDU/CSU を4議席上回り第1党を維持した。また連立与党である B90/G も得票率を前回より2ポイント近く伸ばして議席を増やすことに成功し、両党で合わせて野党全体に対して9議席余りの差をつけて政権を維持することに成功した。SPD が旧東ドイツ地域で支持を伸ばしたため、PDS は1998年選挙と比べて60万近い票を減らし、比例議席配分を受けるのに最低限必要な 5% のラインを突破できず、選挙区でも2議席に留まったため、連邦議会会派の資格を失うこととなった。SPDの勝因としてはアメリカによるイラク戦争に対する不参加の意志を表明した事、選挙運動期間中の8月に発生したザクセン地方エルベ川流域の大洪水の被災地に対する迅速な救済措置が挙げられる[6]

選挙で勝利を収めたシュレーダー連邦首相は、選挙後の10月22日に赤緑連合による第2次政権を発足させた。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ Wahl zum 15.Deutschen Bundestag am 22.September 2002
  2. ^ 第2投票で0.5%以上の得票を得た政党が対象。
  3. ^ 選挙区議席数が比例代表議席数を上回ることで生じる超過議席数は、SPD 5議席とCDU / CSU 1議席の計5議席。
  4. ^ CDU と CSU は「姉妹政党」で、連邦議会では統一会派を組んでいる。CSU は、バイエルン州のみで活動する地域政党で、同州以外では候補者及び政党リストは提出しないので、CDU と競合することはない。
  5. ^ 正式な党名は「法治国家的攻勢の党」(Partei Rechtsstaatlicher Offensive)。シル党は通称で、党首の名前に由来してつけられた。森井 2003 50P。
  6. ^ 伊藤 2003 (343)45P

外部リンク

  • election.de
  • 伊藤光彦 (2003年3月). “第15期ドイツ連邦議会選挙の分析 ─「赤緑連合」勝因の諸要素について─” (PDF). 立命館国際研究. 立命館大学. 2014年1月12日閲覧。
  • 森井裕一 (2003年). “2002 年ドイツ連邦議会選挙と政治動向” (PDF). ヨーロッパ研究. 東京大学. 2014年1月12日閲覧。

関連項目

大統領選挙
ドイツ国
  • 1919(ドイツ語版、英語版)
  • 1925
  • 1932
連邦会議
  • 1949
  • 1954
  • 1959
  • 1964
  • 1969
  • 1974
  • 1979
  • 1984
  • 1989
  • 1994
  • 1999
  • 2004
  • 2009
  • 2010
  • 2012
  • 2017
議会総選挙
国会
人民議会
  • 1950(ドイツ語版)
  • 1954(ドイツ語版)
  • 1958(ドイツ語版)
  • 1963(ドイツ語版)
  • 1967(ドイツ語版)
  • 1971(ドイツ語版)
  • 1976(ドイツ語版)
  • 1981(ドイツ語版)
  • 1986(ドイツ語版)
  • 1990
連邦議会
欧州議会選挙
  • 1979
  • 1984
  • 1989
  • 1994
  • 1999
  • 2004
  • 2009
  • 2014
  • 2019
国民投票
  • 1933
  • 1934
  • 1936
  • 1938
  • 表示
  • 編集