アーロン・ローワンド

アーロン・ローワンド
Aaron Rowand
ジャイアンツ時代(2008年8月4日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗 オレゴン州ポートランド
生年月日 (1977-08-29) 1977年8月29日(46歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手中堅手
プロ入り 1998年 MLBドラフト1巡目(全体35位)でシカゴ・ホワイトソックスから指名
初出場 2001年6月16日 カージナルス
最終出場 2011年8月30日
年俸 $13,600,000(2011年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
この表について
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ホワイトソックス時代(左、2005年)とフィリーズ時代(右、2007年) ホワイトソックス時代(左、2005年)とフィリーズ時代(右、2007年)
ホワイトソックス時代(左、2005年)とフィリーズ時代(右、2007年)

アーロン・ライアン・ローワンド(Aaron Ryan Rowand, 1977年8月29日 - )は、アメリカ合衆国オレゴン州ポートランド出身の元プロ野球選手外野手中堅手)、右投右打。

いとこジェームズ・シールズも野球選手。

経歴

アマチュア時代

1995年カリフォルニア州のグレンドーラ高校を卒業。ドラフトでニューヨーク・メッツから40巡目(全体1,113位)指名を受けるが、入団せずにカリフォルニア州立大学フラトン校へ進学する。

1998年打率.372・16本塁打・72打点・15盗塁という成績を残したローワンドは、ビッグ・ウェスト・カンファレンスのファーストチームに選ばれる。

プロ入りとマイナー時代とホワイトソックス時代

1998年のMLBドラフトシカゴ・ホワイトソックスから1巡目(全体35位)指名されたローワンドはプロ入りする。

2001年に、メジャーデビューを果たし、この年は打率.293を記録。

2002年は、当初は守備固めでの出場が多かったが、7月末 - 8月初頭から中堅手として先発するようになった。しかしこの年の11月にローワンドはオートバイ事故を起こし、左肩甲骨や左右の肋骨を折る怪我を負う。手術を経て回復した。

2003年は、最初の23試合で打率.133と低迷しマイナーに降格される。6月10日にメジャーへ復帰したが、出場は主に守備固めでのものだった。

2004年は再び中堅のレギュラーになる。5月中頃には打率が.212まで落ち込んだがその後復調し、シーズン通算で打率.310・24本塁打・69打点・17盗塁と自己最高を記録。長打率.544はリーグ7位だった。

2005年は自己最高の157試合に出場し成績が軒並みダウンしたが、ホワイトソックスは88年ぶりにワールドシリーズで優勝した。

フィリーズ時代

2005年11月に、ジム・トーミらとのトレードでローワンドはフィラデルフィア・フィリーズに移籍した。ローワンドにとってこのトレードは衝撃だったらしく「ショックで何も考えられない。ドラフトからデビューまでシカゴ一筋だったから、ビジネスと分かっていても僕の心はシカゴのままだ。本当にショックだ」[2]と語っている。移籍初年度の2006年は、5月11日のメッツ戦で打球をダイビングキャッチした際にフェンスに顔から激突し、鼻の骨を折る怪我を負った。5月27日に復帰したが、今度は8月21日のカブス戦で二塁手チェイス・アトリーと衝突し左のかかとを骨折、そのままシーズンを終えた。

2007年は打率.309・27本塁打・89打点と自己最高の成績を残し、また守備でも自身初のゴールドグラブ賞を受賞している。シーズン終了後にローワンドはFAとなった。当初は古巣ホワイトソックスへの復帰が有力視されていたが、ホワイトソックスがFA外野手の中ではローワンドよりもトリー・ハンターに強い関心を抱いていたことや、ホワイトソックスが4年を超える複数年契約を渋ったのに対してローワンド側が5年以上の長期契約を求めていたことなどから、交渉は難航[3]。結局ホワイトソックスとの交渉は決裂となった。

ジャイアンツ時代

2007年12月12日、に5年6,000万ドルでサンフランシスコ・ジャイアンツと契約を結んだ。[4]

2008年は6月2日時点で打率.342と好調だったが、その後は調子を落とし、後半戦は打率.242、5本塁打、OPS.665を喫した。

2009年は前半戦は打率.288、9本塁打、OPS.806の成績を残し、7月10日のサンディエゴ・パドレス戦では9回1死に大飛球を好捕してジョナサン・サンチェスノーヒットノーランをアシストした。後半戦は腰の故障の影響もあり、打率.218、6本塁打、OPS.629に終わる。

2010年は開幕直後に頭部への死球を受け頬を骨折。先発出場は76試合に終わった。

2011年は8月まで108試合の出場で打率.233、4本塁打、OPS.621を喫し、9月8日に解雇された。[5]

12月12日にマイアミ・マーリンズとマイナー契約を結んだ。しかし、3月29日に解雇された。

年度別打撃成績

















































O
P
S
2001 CWS 63 148 123 21 36 5 0 4 53 20 5 1 5 1 15 0 4 28 2 .293 .385 .431 .816
2002 126 331 302 41 78 16 2 7 119 29 0 1 9 2 12 1 6 54 8 .258 .298 .394 .692
2003 93 170 157 22 45 8 0 6 71 24 0 0 2 1 7 0 3 21 1 .287 .327 .452 .779
2004 140 534 487 94 151 38 2 24 265 69 17 5 5 2 30 1 10 91 5 .310 .361 .544 .905
2005 157 640 578 77 156 30 5 13 235 69 16 5 5 4 32 3 21 116 17 .270 .329 .407 .736
2006 PHI 109 445 405 59 106 24 3 12 172 47 10 4 2 2 18 2 18 76 13 .262 .321 .425 .746
2007 161 684 612 105 189 45 0 27 315 89 6 3 2 4 47 3 19 119 18 .309 .374 .515 .889
2008 SF 152 611 549 57 149 37 0 13 225 70 2 4 0 4 44 7 14 126 21 .271 .339 .410 .749
2009 144 546 499 61 130 30 2 15 209 64 4 1 0 3 30 2 14 125 12 .261 .319 .419 .738
2010 105 357 331 42 76 12 2 11 125 34 5 3 1 1 16 3 8 74 11 .230 .281 .378 .659
2011 108 351 331 34 77 22 2 4 115 21 2 3 0 1 10 1 9 84 6 .233 .274 .347 .621
通算:11年 1358 4817 4374 613 1193 267 18 136 1904 536 67 30 31 25 261 23 126 914 114 .273 .330 .435 .765

表彰

脚注

  1. ^ “Aaron Rowand Stats” (英語). ESPN.com. 2012年1月16日閲覧。
  2. ^ 「各球団マンスリー・リポート 30 CLUB MONTHLY REPORT」 『月刊メジャー・リーグ』2006年1月号、ベースボール・マガジン社、2005年、雑誌08625-1、47頁。
  3. ^ Jerry Crasnick, "Hunter's signing opened up more possibilities for center fielders," ESPN.com, November 30, 2007. 2007年12月1日閲覧。
  4. ^ Associated Press, "Giants sign free-agent Rowand to bolster outfield," ESPN.com, December 13, 2007. 2008年4月29日閲覧。
  5. ^ http://espn.go.com/mlb/story/_/id/6945206/giants-release-aaron-rowand-miguel-tejada-dfa Giants release pair of veterans

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、アーロン・ローワンドに関連するカテゴリがあります。
  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
シカゴ・ホワイトソックス 2005年のワールドシリーズ ロースター
   

監督
13 オジー・ギーエン

コーチ
03 ハロルド・ベインズ(ベンチ)
21 ドン・クーパー(投手)
28 ジョーイ・コーラ(三塁)
29 グレッグ・ウォーカー(打撃)
30 ティム・レインズ(一塁)
53 アート・カッシュナー(ブルペン)

サンフランシスコ・ジャイアンツ 2010年のワールドシリーズ ロースター
   

監督
15 ブルース・ボウチー

コーチ
01 ティム・フラネリー(三塁)
19 デイブ・リゲッティ(投手)
23 ロン・ウォタス(ベンチ)
26 マーク・ガードナー(ブルペン)
31 ヘンスリー・ミューレンス(打撃)
39 ロベルト・ケリー(一塁)

1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代

※1957年のみ、両リーグ合同で選出。ミノーソとケーラインはアメリカンリーグ所属選手。

  • 投手
  • 捕手
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  • 二塁手
  • 三塁手
  • 遊撃手
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