パット・バレル

パット・バレル
Pat Burrell
サンフランシスコ・ジャイアンツ #95
サンフランシスコ・ジャイアンツでの現役時代
(2011年4月6日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アーカンソー州ユーリカスプリングス
生年月日 (1976-10-10) 1976年10月10日(47歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
235 lb =約106.6 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1998年 ドラフト1巡目(全体1位)でフィラデルフィア・フィリーズから指名
初出場 2000年5月24日
最終出場 2011年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
この表について
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プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

パトリック・ブライアン・バレル(Patrick Brian Burrell, 1976年10月10日 - )は、アメリカ合衆国アーカンソー州ユーリカスプリングス出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。

日本語メディアではパット・バールと表記されることもある。

フィラデルフィア・フィリーズ時代に記録した本塁打数251本は、フィリーズの選手としては歴代4位の記録となっている。

経歴

プロ入り前

1995年MLBドラフトボストン・レッドソックスから43巡目で指名されたが[1]、契約せずマイアミ大学へ進学。

プロ入りとフィリーズ時代

1998年6月の1998年のMLBドラフトフィラデルフィア・フィリーズから1巡目(全体でも1位)指名され、5年総額800万ドルの長期契約で入団した[2]。10月28日にはゴールデンスパイク賞を受賞した[3]

2000年5月24日にメジャーデビューを果たし、規定打席到達は逃したが、111試合に出場。リーグの新人選手1位となる18本塁打・79打点・27二塁打を記録した[4]2001年は155試合出場と完全にレギュラーの座を手中にし、27本塁打・89打点を記録。守備では外野手としてラウル・モンデシーとメジャー最多タイとなる18刺殺を記録した[5]

2002年はさらに成績を伸ばし、打率.282・37本塁打・116打点を記録し、球団史上1986年のマイク・シュミット以来となる30本塁打・100打点を達成した[6]。この年のオフに日米野球のMLB代表として訪日した際に、日本の変化球投手に簡単に三振を取られ無安打に終わっていた。

2003年開幕前に6年総額5,000万ドル契約で契約延長した。しかし序盤から調子が上がらず、8月22日には通算100本塁打を達成したが、打率は自己最低の.209に留まった。本塁打も21本で、打点は昨年よりも少ない64打点に留まっている。

フィラデルフィア・フィリーズ時代
(2004年9月16日)

2004年は8月にメジャーで初めてとなる故障者リスト入りとなったが、少し調子を上げ、24本塁打・84打点を記録。2005年は悪球に手を出す癖を抑えられるようになり[7]、その結果ナショナルリーグでは11位タイ、チームではトップの32本塁打を放ち、自己ベストとなる117打点を記録した。

2007年

2007年は30本塁打・97打点をマーク。打率.256ながら114四球を選び、出塁率も初めて4割に達した。シーズン序盤こそ不調だったものの、7月2日以降は打率.302・22本塁打と復調し、7月22日から8月5日にかけて自己最長の14試合連続安打を記録するなど地区優勝に大いに貢献した。しかし、初出場となったポストシーズンではホームランこそ放ったものの、それを含めヒットは2本のみと完全に押さえ込まれ、チームも3連敗を喫してしまった。

2008年は6年契約の最終年であり、4月終了時点で打率.326・8本塁打・25打点を記録したが、その後は不調でシーズントータルで打率.250・86打点に終わった。本塁打数は2003年以降最多の33本塁打を記録。プレーオフではディビジョンシリーズ第3戦まで無安打だったが、第4戦で2本塁打を含む3安打を放ち、チームはミルウォーキー・ブルワーズを破りリーグチャンピオンシップシリーズへ進出。リーグチャンピオンシップシリーズでは通算で3割を上回るを記録したが、タンパベイ・レイズとのワールドシリーズでは5戦の二塁打を1本だけで14打数1安打に終わったが、自身初のワールドチャンピオンとなった。

レイズ時代

2009年1月、タンパベイ・レイズと2年総額1600万ドルで契約。しかし初のア・リーグや故障もあってか、不本意な成績に終わった。

タンパベイ・レイズ時代
(2010年3月)

2010年5月19日に自由契約となった。

ジャイアンツ時代

2010年5月29日にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約。その後メジャー昇格し、18本塁打を記録。ジャイアンツの21年ぶりのリーグ優勝に貢献。リーグチャンピオンシップでは古巣のフィリーズとも対決した。テキサス・レンジャーズとのワールドシリーズでは13打数無安打11三振と不振に終わったが、自身2度目のワールドチャンピオンとなった。オフにフリーエージェント(FA)となった。

2012年1月30日、一部のアメリカのメディアが引退する意向だと報じ、その後正式に引退を発表。フィリーズはバレルのフィリーズ時代の功績を称え、One Day Contract(一日契約)を行うと発表。2012年5月19日、一日限りのマイナー契約を結び、フィリーズの本拠地・シチズンズ・バンク・パークで行われた対ボストン・レッドソックス戦で始球式を行い、ファンに別れを告げた[8]

選手としての特徴

三振が多く、メジャー8年間の平均三振数は142個。ただ球をしっかりと見ていくタイプなので、2007年は114四球(リーグ3位)を選んでいる。パワーはかなりある方で、例年30本前後の本塁打を放っている。足は遅くはないが盗塁をほとんど試みないため、通算盗塁数はわずかに7個。

もともとは三塁手であったが、当時フィリーズでは歴代でも最高の三塁守備といわれたスコット・ローレンがレギュラーであったため、より多くのプレー機会を得るためにメジャーに昇格してからは一塁や外野を任され、後に左翼手に定着した。レイズ時代は指名打者として出場することも多かった。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2000 PHI 111 474 408 57 106 27 1 18 189 79 0 0 0 2 63 2 1 139 5 .260 .359 .463 .822
2001 155 618 539 70 139 29 2 27 253 89 2 1 0 4 70 7 5 162 12 .258 .346 .469 .815
2002 157 684 586 96 165 39 2 37 319 116 1 0 0 6 89 9 3 153 16 .282 .376 .544 .920
2003 146 599 522 57 109 31 4 21 211 64 0 0 0 1 72 2 4 142 18 .209 .309 .404 .713
2004 127 534 448 66 115 17 0 24 204 84 2 0 0 6 78 7 2 130 10 .257 .365 .455 .820
2005 154 669 562 78 158 27 1 32 283 117 0 0 0 5 99 6 3 160 12 .281 .389 .504 .893
2006 144 567 462 80 119 24 1 29 232 95 0 0 0 4 98 5 3 131 11 .258 .388 .502 .890
2007 155 598 472 77 121 26 0 30 237 97 0 0 0 8 114 1 4 120 10 .256 .400 .502 .902
2008 157 645 536 74 134 33 3 33 272 86 0 0 0 6 102 8 1 136 10 .250 .367 .507 .874
2009 TB 122 476 412 45 91 16 1 14 151 64 2 0 0 5 57 2 2 119 6 .221 .315 .367 .682
2010 24 96 84 9 17 5 0 2 28 13 0 0 0 1 10 0 1 28 2 .202 .292 .333 .625
SF 96 341 289 41 77 16 0 18 147 51 0 2 0 5 47 4 0 77 5 .266 .364 .509 .872
'10計 120 437 373 50 94 21 0 20 175 64 0 2 0 6 57 4 1 105 7 .252 .348 .469 .817
2011 92 219 183 17 42 9 1 7 74 21 0 0 0 1 33 0 2 67 2 .230 .352 .404 .756
MLB:12年 1640 6520 5503 767 1393 299 16 292 2600 976 7 3 0 54 932 53 31 1564 119 .253 .361 .472 .834

年度別守備成績

一塁守備


一塁(1B)












2000 PHI 58 460 22 6 37 .988
MLB 58 460 22 6 37 .988
外野守備


左翼(LF) 右翼(RF)
























2000 PHI 48 74 6 2 0 .976 -
2001 146 226 18 7 2 .972 -
2002 157 274 8 6 1 .979 -
2003 140 235 7 6 0 .976 -
2004 122 217 9 4 1 .983 -
2005 153 236 10 7 2 .972 -
2006 126 204 8 3 1 .986 -
2007 138 176 8 10 2 .948 -
2008 155 202 12 2 1 .991 -
2009 TB 1 0 0 0 0 ---- 1 2 0 0 0 1.000
2010 SF 87 121 4 2 0 .984 -
2011 54 53 2 4 1 .932 -
MLB 1327 2018 92 53 11 .975 1 2 0 0 0 1.000
  • 各年度の太字はリーグ最高

脚注

  1. ^ “Pat Burrell Transactions” (英語). Baseball-Reference.com. 2008年12月1日閲覧。
  2. ^ “CNN/SI - 1998 MLB Draft” (英語). 2008年4月9日閲覧。
  3. ^ “Pat Burrell from the Chronology” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年12月1日閲覧。
  4. ^ “Pat Burrell 2000 Career Highlights” (英語). 2008年4月9日閲覧。
  5. ^ “Pat Burrell 2001 Career Highlights” (英語). 2008年4月9日閲覧。
  6. ^ “Pat Burrell 2002 Career Highlights” (英語). 2008年4月9日閲覧。
  7. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2006』廣済堂出版、2006年、255頁頁。ISBN 978-4-331-51146-6。 
  8. ^ “Burrell emotional as he officially retires a Phillie” (英語). 2013年5月8日閲覧。

関連項目

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、パット・バレルに関連するカテゴリがあります。
  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
  • Pat Burrell stats MiLB.com (英語)
サンフランシスコ・ジャイアンツ ロースター
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公式サイト(英語)より 40人ロースター 監督・コーチ一覧 2024年5月21日更新
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ワールドシリーズ ロースター
フィラデルフィア・フィリーズ 2008年のワールドシリーズ ロースター
   

監督
41 チャーリー・マニエル

コーチ
02 スティーブ・スミス(三塁)
15 デイビー・ロープス(一塁)
17 ミック・ベルメイヤー(捕手インストラクター)
22 ジミー・ウィリアムズ(ベンチ)
25 ミルト・トンプソン(打撃)
30 リッチ・ダビー(投手)
31 ラモン・ヘンダーソン(ブルペン)

サンフランシスコ・ジャイアンツ 2010年のワールドシリーズ ロースター
   

監督
15 ブルース・ボウチー

コーチ
01 ティム・フラネリー(三塁)
19 デイブ・リゲッティ(投手)
23 ロン・ウォタス(ベンチ)
26 マーク・ガードナー(ブルペン)
31 ヘンスリー・ミューレンス(打撃)
39 ロベルト・ケリー(一塁)