ガボル・ゲルゲリー

この項目では、インド・ヨーロッパ語族風に、名前を名姓順で表記していますが、ハンガリー語圏の慣習に従いゲルゲイ・ガーボルと表記することもあります。(Template:ハンガリー人の姓名)
ガボル・ゲルゲリー
基本情報
生年月日 (1953-06-21) 1953年6月21日(70歳)
選手情報
最高世界ランク 1位
利き腕
グリップ シェークハンド
フォア面ラバー 裏ソフト
バック面ラバー 裏ソフト
戦型 両ハンドドライブ
■テンプレート ■プロジェクト:卓球 ■選手一覧

ガボル・ゲルゲリーGábor Gergely, 1953年6月21日 - )は、ハンガリーブダペスト出身の卓球選手。1970年代から1980年代にかけての世界最高の選手の一人といわれ、ティボル・クランパイストヴァン・ヨニエルと共にハンガリー卓球三銃士と呼ばれた[1]

彼はサッカーをしていたがひざを負傷したため14歳の時に卓球を始めた。ヨーロッパ選手権で2度優勝したPéter Rózsásが彼の指導にあたった。1970年ハンガリーの代表入りを果たし1971年にはステラン・ベンクソンを破った。1975年の世界卓球選手権カルカッタ大会ではヨニエルとのダブルスで優勝、1979年の世界選手権平壌大会では団体決勝で中国を破り優勝した[1]。また1978年のヨーロッパ選手権ではシングルス、ダブルス、団体の3冠を達成した。また同年のヨーロッパトップ12でも優勝している。

私生活では1973年に結婚して娘が2人いる。

主な戦績

その他

彼の名前、ゲルゲリーというモデルのBUTTERFLYのラケットがかつて日本でも発売されていた。

脚注

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  1. ^ a b “訃報 ベルチック氏が急逝”. 日本卓球協会 (2011年1月12日). 2011年5月17日閲覧。

外部リンク

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