ダマン・ディーウ連邦直轄領

ダマンとディーウの位置
ダマンとディーウの位置(拡大図)

ダマン・ディーウ連邦直轄領(ダマン・ディーウれんぽうちょっかつりょう、Daman and Diu, દમણ અને દીવ, दमन और दीव)は、インドにかつて存在した連邦政府直轄領。アラビア海に面したダマンディーウからなっていた。面積は112平方キロメートル、直近の人口は243,247人(2011年)だった[1]

歴史

グジャラート・スルタン国領

ダマンとディーウ両都市とも16世紀中頃まではムザッファル朝(英語版)グジャラート・スルターン朝の領地であった。

ポルトガル領

詳細は「ポルトガル・マムルーク海上戦争」および「ディーウ沖海戦」を参照

ディーウは1535年ポルトガル領となる。ディーウ自体は長さ10km程度の島であり、ポルトガルの要塞として使われた。なお、その対岸にある2つの村もポルトガル領ディーウの一部とされていた。1558年にポルトガル領となったのちは木材などの積出港、貿易拠点として栄える。ポルトガルはインドを最初に植民地化した西洋国だが、インド内陸部を支配する能力、動機とも備えておらず、交易の拠点となる商館を維持する政策を取った。最盛期にはインド西岸、南岸を中心に13都市を支配している。なお、18世紀後半からは内陸部のダードラー及びナガル・ハヴェーリーもポルトガル領ダマンの一部とされた(ただし、面積・人口ともダマン自体より大きい)。

その後20世紀中頃まではゴアと共にポルトガル領インドを構成していた。第二次世界大戦終結後、インドの独立を経ても、1961年までポルトガル領として留まった。

インド連邦直轄地

1961年12月19日、ゴア、ダマン、ディーウはインド軍の侵攻を受け占領下におかれる(インドのゴア軍事侵攻)。翌62年3月16日、インドが併合宣言を行いゴア、ダマンおよびディーウ連邦直轄領(英語版)が成立。

1987年5月30日、ゴアが分離しダマン・ディーウ連邦直轄領となる[2]

2020年1月26日、ダードラーおよびナガル・ハヴェーリー連邦直轄領と合併し、ダードラー・ナガル・ハヴェーリーおよびダマン・ディーウ連邦直轄領となった[3]

脚注

  1. ^ “States of India”. Statoids.com (2015年6月30日). 2021年1月8日閲覧。
  2. ^ “States of India since 1947/Dadra and Nagar Haveli and Daman and Diu”. worldstatemen.org. 2021年1月8日閲覧。
  3. ^ “REGD. NO. D. L.-33004/99”. egazette.nic.in. 2021年1月8日閲覧。

外部リンク

  • Welcome to the Official Site of Daman...
  • 世界飛び地領土研究会(ダマン) - ウェイバックマシン(2005年3月26日アーカイブ分)
  • 世界飛び地領土研究会(ディウ) - ウェイバックマシン(2005年1月19日アーカイブ分)
連邦直轄領
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