佐藤智之

曖昧さ回避 ジャーナリストの「佐藤友之」とは別人です。

佐藤智之(さとう ともゆき、1981年1月31日- )は、日本の陸上競技選手。大分県別府市出身。大分東明高等学校卒業。旭化成陸上部所属。2014年の別府大分毎日マラソンを最後に現役を退き、現在はコーチとして同チームに所属している。

経歴

大分東明高校卒業後、旭化成に入社。宗茂の指導を受け、日本のトップ選手に成長する。入社4年目の2003年延岡西日本マラソンでは2時間13分02秒で初マラソン初優勝。

2004年の東京国際マラソンで2時間9分43秒(自己記録)をマークして5位入賞を果たすが、2005年のびわ湖毎日マラソンは、2時間14分21秒の16位に終わる。2006年、別府大分毎日マラソンでは2時間11分46秒で準優勝。同年12月の福岡国際マラソンでは2時間12分29秒の10位に終わる。

2007年2月18日、第1回東京マラソンに出場。2時間09分台で優勝したケニアダニエル・ジェンガヤクルト所属)に続き、2時間11分22秒の2位でゴールイン。世界陸上大阪大会日本代表補欠に選出された。2007年7月、世界陸上大阪大会の男子マラソン代表に選出されていたSUBARU奥谷亘が、盲腸炎をこじらせて代表を辞退。補欠だった佐藤が繰上げで正式代表となった。8月25日、世界陸上大阪大会男子マラソンに出場。しかしメダル・入賞争いには加われず、ゴールタイムは2時間20分53秒で13位、日本人4番目でのゴールに終わった。なお、同時開催のマラソンワールドカップ(団体戦)では、日本男子代表で金メダルを獲得した(但し、世界陸上とは別個の大会のためメダリストにはならない)。

2008年3月2日のびわ湖毎日マラソンは、2時間9分59秒の7位に終わり、北京オリンピック代表入りはならなかった。2008年12月7日の福岡国際マラソンは、2時間9分59秒の4位。

2009年12月6日の福岡国際マラソンは、日本男子唯一の国内招待選手で出場するも、足の痙攣が響いて2時間23分59秒の31位に終わった。2010年3月7日のびわ湖毎日マラソンは、25Km手前で優勝者のイエマネ・ツェガエ(エチオピア)のペースについていけなかったが、日本人トップとなる2時間10分7秒の2位に入った。この結果により広州アジア競技大会の代表に選出される。11月27日のアジア競技大会男子マラソンは、30Km過ぎの登り坂で先頭集団についてゆけず脱落、2時間18分24秒の7位に終わった(同日本代表の北岡幸浩が銀メダル獲得、北岡は翌2011年の世界陸上大邱大会男子マラソン代表に内定)。

外部リンク

日本の旗日本陸上競技選手権大会 男子マラソン優勝者
1910年代
1920年代
  • 20 後藤長一
  • 21 下村広次
  • 22 西田長次郎
  • 23 松岡正夫
  • 25 丸三郎
  • 26 山内政夫
  • 27 高橋清二
  • 28 山田兼松
  • 29 楠好蔵
1930年代
1940年代
1950年代
  • 50 野田義一
  • 51 篠崎清
  • 52 橋本博
  • 53 廣島庫夫
  • 54 高橋芳勝
  • 55 フィンランドの旗ヴェイッコ・カルヴォーネン(英語版)
  • 56 山田敬蔵
  • 57 堀之内澄雄
  • 58 堀之内澄雄
  • 59 越川泰男
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
  • *は大会記録
 
陸上競技日本代表 - 出場大会
男子
女子
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