叡子内親王

叡子内親王(えこないしんのう、保延元年12月4日(1136年1月8日) -久安4年12月8日(1149年1月19日))は、平安時代後期の皇族鳥羽天皇皇女。生母は美福門院藤原得子、養母は高陽院藤原泰子高陽院姫宮と号した。

来歴

保延元年(1136年)12月4日に生まれ、同21日東三条殿に移り、皇后宮藤原泰子の養女となる[1]。保延二年(1136年)4月19日に内親王に宣下され。

保延三年(1137年)4月12日准三后とされた、封千戸を賜る、同12月10日に着袴。

久安四年(1148年)11月27日受戒、同12月8日薨去した。

脚注

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  1. ^ 中右記』同日條
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内親王(飛鳥時代 - 江戸時代)
大宝律令施行(701年)以後で、内親王と公称した人物とする。
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