海峡植民地

海峡植民地
Negeri-Negeri Selat(マレー語)
Straits Settlements(英語)
海峡殖民地(中国語)
நீரிணைக் குடியேற்றங்கள்
(タミル語)
クダ・スルタン国
オランダ領東インド
ジョホール王国
マンジュン
ブルネイ帝国
1826年 - 1946年 シンガポール植民地
マラヤ連合
北ボルネオ直轄植民地
海峡植民地の国旗 海峡植民地の国章
(国旗) (国章)
国歌: God Save the King(英語)
国王陛下万歳(1826年 - 1837年、1901年 - 1942年、1945年 - 1946年)
God Save the Queen
女王陛下万歳(1837年 - 1901年)
海峡植民地の位置
1922年のマレー半島の地図。赤色が海峡植民地
公用語 マレー語英語中国語タミル語
首都 シンガポール
国王
1820年 - 1830年 ジョージ4世
1936年 - 1952年ジョージ6世
総督
1826年 - 1830年ロバート・フラートン
1934年 - 1946年シェントン・トーマス
面積
1931年4,145km²
人口
1931年1,114,015人
変遷
成立 1826年
イギリス領マラヤ創設1909年
消滅1946年
通貨海峡ドル
現在シンガポールの旗 シンガポール
マレーシアの旗 マレーシア
オーストラリアの旗 オーストラリア(ココス諸島の旗 ココス諸島)
マレーシアの歴史
History of Malaysia
この記事はシリーズの一部です。
先史時代
初期の王国
ランカスカ (2c–14c)
盤盤 (3c–5c)
シュリーヴィジャヤ王国 (7c–13c)
クダ王国(マレー語版、英語版) (630-1136)
イスラム王国の勃興
クダ・スルタン国(英語版) (1136–現在)
マラッカ王国 (1402–1511)
スールー王国 (1450–1899)
ジョホール王国 (1528–現在)
ヨーロッパ植民地
ポルトガル領マラッカ(ポルトガル語版、英語版) (1511-1641)
オランダ領マラッカ(オランダ語版、英語版) (1641-1824)
イギリス領マラヤ (1824–1946)
海峡植民地 (1826–1946)
マレー連合州(英語版) (1895–1946)
マレー非連合州(英語版) (1909–1946)
サラワク王国 (1841–1946)
ラブアン直轄植民地 (1848–1946)
北ボルネオ (1882–1963)
第二次世界大戦
日本占領下のマラヤ (1941–1945)
日本占領下の北ボルネオ (1941–1945)
マレーシアの変遷期
マラヤ連合 (1946–1948)
マラヤ連邦 (1948–1963)
独立 (1957)
マレーシア連邦 (1963–現在)

マレーシア ポータル

海峡植民地(かいきょうしょくみんち、英語: Straits Settlements、当時では叻嶼呷1826年 - 1946年)は、19世紀から20世紀前半にかけてのマレー半島におけるイギリス植民地の名称である。1826年に、東西交通の要衝マラッカ海峡に面しているペナンマラッカシンガポールよりなる植民地として形成された。1886年からココス島とクリスマス島が、1906年ラブアン島が編入された。

なお、マレー語に忠実に記すとすれば、「ピナン」「ムラカ」などと地名を表記すべきであろうが、以下はイギリス支配下の行政区としての海峡植民地についての記述であるので、英語の発音に準じて地名を記す。

沿革

前史

イギリスは、1623年モルッカ諸島アンボン島で起きたアンボイナ虐殺事件を契機として、東インド諸島から全面的に撤退を余儀なくされ、インド経営に専念するが、18世紀後半以降、中国との広東貿易が隆盛し、また19世紀初めのナポレオン戦争の結果、東インドを支配していたオランダの勢力が後退したので、再び東南アジアに進出するようになった。その橋頭堡となったのがマレー半島である。

ペナン植民地

1786年カントリー・トレーダーのフランシス・ライト(英語版)は、マレー半島西海岸のクダ・スルタン国(英語版)スルタンと条約を結び、イギリス東インド会社領としてペナン島を獲得した。インド亜大陸中国を結ぶ中継港、マラッカ海峡地域の産品の集積基地、ベンガル湾以東の海域における海軍基地が必要とされたために、イギリス東インド会社は同島を確保することになった。クダ王国はタイアユタヤ王朝ブギス族などのマレー人勢力から国を守るために、強力な後ろ盾を必要としていた。ペナン島は、プリンス・オブ・ウェールズ島と命名され、ジョージタウンが建設された。また、1800年には、クダ王国よりペナン島対岸の土地が獲得され、ウェルズリー州(Province Wellesley)と命名された。

ただし、1799年前後までは、イギリス東インド会社の中継港としてはアンダマンもまた候補にあがっており、ペナン植民地の地位が確固としたものとなったのは、1805年に英領インドの第4番目の管区(Presidency)とされてからである。以降、ペナン島にはイギリス人の知事が派遣され、ベンガル総督の管轄下に置かれた。管区の地位は、1826年に成立した海峡植民地に引き継がれることになる。

ペナンは、フランシス・ライトが自由貿易港と宣言したため、周辺海域より商人を多くあつめ、急速な発展を遂げた。1801年、自由貿易港の指定を解除したために一時衰退したが、海峡植民地成立によって再び自由貿易港となった。ただその経済的繁栄は次第にシンガポールに奪われていった(後述)。

マラッカ植民地

マラッカ海峡を臨むマラッカの町は、1645年以来、オランダの支配下にあったが、フランス革命の余波を受けてオランダ本国がフランスの勢力下に入ると、イギリスは1795年にマラッカをはじめとするオランダ領東インドの各地を占領した。

ナポレオン戦争終結後の1818年、イギリスは同地をオランダに返還したが、その後、1824年の英蘭協約によって、イギリスはスマトラ島西海岸にあった英領ベンクーレン植民地と引き換えにオランダからマラッカを獲得した。それまでイギリスとオランダの植民地がマレー半島とスマトラの各地に混在していたが、この協定で両国の植民地の境界がおおまかにひかれた(今日のマレーシアインドネシアの国境線はこれに由来する)。

シンガポール植民地

シンガポールは、この島の地政学的重要性に目を付けた東インド会社員トーマス・ラッフルズによって、1819年ジョホール王国から割譲された。以後、イギリスはこのシンガポールを自由貿易港に指定して東南アジア貿易の拠点とした。

シンガポール港は、中国をはじめとする各地との貿易が急増したことで、次第に経済的に台頭した。中国で起きた阿片戦争後の1845年香港とシンガポールを結ぶ定期航路も開設された。欧州との関係では1869年に開通したスエズ運河が遠洋航路の所要時間を短縮した。

海峡植民地の成立

1826年イギリス東インド会社はこれら3植民地を統合して海峡植民地とし、インドのベンガル総督府の管轄下でペナンに海峡植民地知事が駐在した。行政府となったペナンの人口は1860年には125,000人(ウェルズリーを含む)を数え、海峡植民地中首位であった。ただし、19世紀のシンガポールの経済的成長はめざましく、1832年以降はシンガポールが行政府となる。

しかし、シンガポールの経済的発展とはうらはらに、東インド会社にとって海峡植民地はあまり利益をあげない「お荷物」であることが明らかになっていった。1826年の成立以来、海峡植民地は自由港だったために関税収入が見込めなかったうえ、当初期待された香料取引による利益も、香料自体の価格の暴落によって、期待できないものとなったからである。1805年にペナンが英領インドの4番目の管区に指定されて以来、海峡植民地はそれを受け継いでいたが、1830年にはとうとうその地位が剥奪され、レジデンシーに降格されてしまった。なお、降格後も行政の長の職名は「知事(Governor)」とされる慣行が続いたが、英領インドの行政官の秩序の中では、ほぼ閑職扱いであった。

他方で阿片戦争以来、海峡地域には中国からの移民が流入し労働力を提供したが、その秘密結社が治安上の問題となることもあった。それにもかかわらず、インド政府側は海峡植民地の治安や公共政策への出費に積極的でなかったため、シンガポールを中心に活動していた海峡商人たちの間で不満が高まる要因になった。

英領マラヤの成立

シンガポール在住イギリス商人たちは海峡植民地のインドへの従属に反対し、インドからの分離と議会の設立を訴えた。その要請に応えるとともに、海峡植民地の財政が印紙法の成立によってバランスが取れるようになったため、1867年、海峡植民地はイギリス植民地省の管轄に移された。東インド会社の所管を離れても海峡植民地の名前はそのまま使われ、ロンドンから直接派遣される新知事はシンガポールに駐在した。

マレー諸国に対する、インド時代の海峡植民地の基本的姿勢は、「非介入政策」と呼ばれる。財政的に「お荷物」の海峡植民地の重荷をさらに増やさぬよう、なるべく消極的に運営されるべき植民地とみなされたのである。この姿勢に転機が訪れたのは、1873年の知事アンドルー・クラークの着任によってである。ペラの内紛を調停するという名目のもとに結ばれた1874年パンコール条約(英語版)以来、イギリス勢力は積極的にマレー半島に介入していくようになる(「積極介入政策」)。マレー半島西海岸のスルタン諸国に産出するスズの利権を確保するという、実質的な利害関心もこの動きの背後にあったとされる。19世紀末には、ペラ、スランゴール、ヌグリ・スンビラン及び後背地パハンのマレー系スルタン国に次第に介入していった。これらの4ヵ国は、1896年マレー連合州(英語版)とされ、統監がクアラルンプールに置かれた。ここにおいて、イギリスの直轄領域である海峡植民地と、間接統治をうける保護国からなる英領マラヤが成立した。また、クランタン、トレンガヌ、ジョホールなどの東海岸のスルタン国は、20世紀に入ってからイギリスの保護下に置かれることになった。

解体

海峡植民地は、1870年代より英領マラヤの中核としての役割を果たし続けたが、第二次世界大戦中に日本軍による占領をうけた後、戦後の英領マラヤ再編に伴って1946年に解体した。マラヤ連邦の成立とともに、ペナンとマラッカは同連邦に吸収され、シンガポールは独立のクラウン・コロニー(英国王直轄地)となった。

ココス島とクリスマス島は、1946年にシンガポールの管轄下とされたが、それぞれ1955年と1957年にオーストラリアに移された。ラブアン島は、イギリス保護国北ボルネオ1882年 - 1963年)の一部となり、後にマレーシアの一部(現サバ州)となった。

参考文献

関連項目

外部リンク

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* 現在は英連邦王国  ·   現在はイギリス連邦の一員

ヨーロッパ

12世紀
1337-1453  フランス

18世紀
1708–1757  メノルカ島
1713-  ジブラルタル
1763–1782  メノルカ島
1798–1802  メノルカ島

19世紀
1800–1964  マルタ直轄植民地
1801-1921  アイルランド
1807–1890  ヘルゴラント島
1809–1864  イオニア諸島合衆国

20世紀
1921-1937  アイルランド自由国

北アメリカ

17世紀
1607–1776  バージニア
1610–1907  ニューファンドランド
1619-  バミューダ諸島
1620–1691  プリマス
1629–1691  マサチューセッツ湾植民地
1632–1776  メリーランド
1636–1776  コネチカット
1636–1776  ロードアイランド
1637–1662  ニューヘイブン植民地
1663–1712  カロライナ
1664–1776  ニューヨーク
1665–1674 及び 1702-1776  ニュージャージー
1670–1870  ルパート・ランド
1674–1702  東ジャージー
1674–1702  西ジャージー
1680–1776  ニューハンプシャー
1681–1776  ペンシルベニア
1686–1689  ニューイングランド
1691–1776  マサチューセッツ

18世紀
1701–1776  デラウェア
1712–1776  ノースカロライナ
1712–1776  サウスカロライナ
1713–1867  ノバスコシア
1733–1776  ジョージア
1763–1873  プリンスエドワード諸島
1763–1791  ケベック植民地
1763–1783  東フロリダ
1763–1783  西フロリダ
1784–1867  ニューブランズウィック
1791–1841  ローワー・カナダ
1791–1841  アッパー・カナダ

19世紀
1818–1846  コロンビア地区 / オレゴン・カントリー1
1841–1867  カナダ植民地
1849–1866  バンクーバー諸島
1853–1863  クイーンシャーロット諸島植民地
1858–1866  ブリティッシュ・コロンビア領
1859–1870  北西領
1862–1863  スティキン領
1866–1871  バンクーバー島・ブリティッシュコロンビア連合植民地
1867–1931  *カナダ (ドミニオン)2

20世紀
1907–1949  ニューファンドランド3

^1アメリカ合衆国と共同占有。
^21931年、ウェストミンスター憲章によりカナダと他のイギリス自治領は自らの政府を持つ。(イギリス連邦も参照)
^31934年に自治政府を自ら放棄し、1949年にカナダに編入されるまで事実上のイギリス自治領。

ラテンアメリカとカリブ海

17世紀
1605–1979  *セントルシア
1623–1883  セントキッツ・ネイビス
1624–1966  ·バルバドス
1625–1650  セント・クロイ島
1627–1979  *セントビンセント・グレナディーン
1628–1883  セントキッツ・ネイビス
1629–1641  セント・アンドリュー・プロビデンス諸島4
1632-  モントセラト
1632–1860  アンティグア(アンティグア・バーブーダ)
1643–1860  バイア諸島
1650-  アンギラ
1651–1667  ウィロフビーランド(スリナム)
1655–1850  モスキート湾
1655–1962  *ジャマイカ植民地
1666-  イギリス領ヴァージン諸島
1670-  ケイマン諸島
1670–1973  *バハマ
1670–1688  セント・アンドリュー・プロビデンス諸島4
1671–1816  リーワード諸島

18世紀
1762–1974  *グレナダ
1763–1978  ドミニカ
1799-  タークス・カイコス諸島

19世紀
1831–1966  ギアナ(ガイアナ)
1833–1960  ウィンドワード諸島
1833–1960  リーワード諸島
1860–1981  *アンティグア・バーブーダ
1871–1964  ホンジュラス(ベリーズ)
1882–1983  *セントキッツ・ネイビス
1889–1962  トリニダード・トバゴ

20世紀
1958–1962  西インド連邦

^4現在のコロンビアサン・アンドレス・イ・プロビデンシア県

アフリカ

18世紀
1792–1961  シエラレオネ
1795–1803  ケープ植民地

19世紀
1806–1910  ケープ植民地
1816–1965  ガンビア
1856–1910  ナタール
1868–1966  バストランド(レソト)
1874–1957  ゴールド・コースト
1882–1922  エジプト
1884–1966  ベチュアナランド(ボツワナ)
1884–1960  ソマリランド
1887–1897  ズールーランド
1888–1894  マタベレランド
1890–1980  南ローデシア(ジンバブエ)
1890–1962  ウガンダ
1890–1963  ザンジバル(タンザニア)
1891–1964  ニヤサランド(マラウイ)
1891–1907  中央アフリカ
1893–1968  スワジランド
1895–1920  東アフリカ
1899–1956  スーダン

20世紀
1900–1914  北ナイジェリア
1900–1914  南ナイジェリア
1900–1910  オレンジ川植民地
1900–1910  トランスヴァール植民地
1906–1954  ナイジェリア植民地
1910–1931  南アフリカ
1911–1964  北ローデシア(ザンビア)
1914–1954  ナイジェリア
1915–1931  南西アフリカ(ナミビア)
1919–1960  カメルーンズ(カメルーン) 5
1920–1963  ケニア植民地
1922–1961  タンガニーカ(タンザニア) 5
1942-1951  リビア
1949-1951  キレナイカ首長国
1954–1960  ナイジェリア連邦

^5国際連盟委任統治

アジア

17世紀
1685-1824  ブンクル州
スマトラ島

18世紀
1702–1705  コンダオ諸島
1757–1947  西ベンガル(インド)とバングラデシュ
1762–1764  フィリピン
1795–1948  セイロン(スリランカ)
1796–1965  モルディブ

19世紀
1819–1826  マレー半島・シンガポール
1826–1946  海峡植民地
1839–1967  アデン植民地
1841–1997  香港
1841–1941  サラワク王国(マレーシア)
1854-1963  上海租界
1848-1946  ラブアン直轄植民地
1858–1947  イギリス領インド(インド、パキスタン、バングラデシュ、ビルマ)
1860-1943  天津租界
1861-1927  漢口租界
1861-1927  鎮江租界
1861-1927  九江租界
1862-1943  沙面租界
1862-1930  厦門租界
1863-1943  上海共同租界
1882–1963  北ボルネオ(マレーシア)
1885–1946  非連合マレー諸国
1888–1984  ブルネイ・スルターン国
1888–1946  スールー王国
1891–1971  マスカット・オマーン
1892–1971  トルシアル諸国保護領
1895–1946  連合マレー諸国
1898–1930  威海衛租借地
1898-1997  新界租借地
1878–1960  キプロス

20世紀
1902-1943  鼓浪嶼共同租界
1918–1961  クウェート
1920–1932  イラク5
1921–1946  トランスヨルダン5
1923–1948  パレスチナ5
1941-1946  イラン
1945–1946  南ベトナム
1946–1948  マラヤ連合
1946–1952  連合国として日本占領
1946–1963  サラワク(マレーシア)
1948–1957  マラヤ連邦(マレーシア)
since 1960  アクロティリおよびデケリア(かつてのキプロスの一部)
since 1965  イギリス領インド洋地域

^5国際連盟委任統治

オセアニア

18世紀
1788–1901  ニューサウスウェールズ

19世紀
1803–1901  ヴァン・ディーメンズ・ランド/タスマニア
1807–1863  オークランド諸島6
1824–1980  ニューヘブリディーズ諸島(バヌアツ)
1824–1901  クイーンズランド
1829–1901  スワン川植民地/西オーストラリア
1836–1901  南オーストラリア
since 1838  ピトケアン諸島
1841–1907  ニュージーランド植民地
1851–1901  ビクトリア
1874–1970  フィジー7
1877–1976  イギリス領西太平洋
1884–1949  パプア領
1888–1965  クック諸島6
1889–1948  トケラウ6
1892–1979  ギルバート・エリス諸島8
1893–1978  イギリス領ソロモン諸島9

20世紀
1900–1970  トンガ
1900–1974  ニウエ6
1901–1942  *コモンウェルス・オブ・オーストラリア
1907–1953  *ニュージーランド
1919–1942  ナウル
1945–1968  ナウル
1919–1949  ニューギニア領
1949–1975  パプアニューギニア領10

^6現在はニュージーランド王冠の一部
^7延期メンバー
^8現在はキリバスツバル
^9現在はソロモン諸島
^10現在はパプアニューギニアの一部

南極大陸と南大西洋

17世紀
1659-  セントヘレナ

19世紀
1815-  アセンション島11
1816-  トリスタンダクーニャ11
1833-  フォークランド諸島12

20世紀
1908-  イギリス領南極地域1314
1908-  サウスジョージア・サウスサンドウィッチ諸島1213

^111922年(アセンション島)よりセントヘレナの、1938年より(トリスタンダクーニャ)の属領
^12フォークランド戦争中の1982年4月から6月までアルゼンチンの占領下
^131908年より主張されている
^14南極条約により領土主権や請求権は凍結されている

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  • VIAF
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人物
  • Trove(オーストラリア)
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