北郷持久

 
凡例
北郷持久
時代 室町時代中期
生誕 応永16年(1409年
死没 文明2年(1470年
改名 次郎(幼名)→持久
別名 讃岐守
戒名 福持庵殿無極道悦居士
墓所 宮崎県都城市庄内町の釣璜院址
氏族 北郷氏
父母 父:北郷知久、母:北郷忠通の娘
兄弟 持久、信久
正室:和田匡盛の娘
敏久、用棟、久宣、女、辰久、常久
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北郷 持久(ほんごう もちひさ)は、室町時代中期の日向の武将。北郷氏5代当主。4代当主北郷知久の嫡男。都城領主であったが大覚寺義昭事件に連座し都城を追われた。

生涯

正長元年(1428年)、室町幕府3代将軍足利義満の子である大覚寺義昭は6代将軍の座を巡るくじ引きに敗れ、6代将軍には義昭の兄である義教が就任した。その後、義昭は京を出奔し各地を転々とした後、従僧源澄の出身地であり、その兄鬼束久次の住む日向国島津荘内中郷に逃れた。義教は義昭を捕縛するよう全国に指令したが、鬼束久次の主で当地を領していた持久は義昭の滞在を黙認していた。しかし、幕府のお尋ね者である義昭をいつまでも置いておくわけにもいかず、同じ日向櫛間(現在の宮崎県串間市)地頭野辺氏のもとへ義昭を移らせたが、義昭が日向に潜伏していることを義教が知るところとなり、義教はその殺害を日向守護島津忠国に指令した。忠国は幕府の命には逆らえず、持久、樺山孝久、新納忠続、本田重恒、肝付兼忠の五将と、忠国の重臣山田忠尚などの軍勢を櫛間に派遣し義昭の居る永徳寺を包囲したので、嘉吉元年(1441年)に義昭は自害し、その首級は京へ送られた。義教は大変喜び、褒賞として五将に銘刀一腰を与え、忠国には銘刀一腰のほかに腹巻一領と青馬一頭を添えて与えた。

ところが8代将軍足利義政の代になると、義昭を匿っていたという過去の責任が問われることになり、持久に逃亡幇助の責任が負わされることになった。持久の申し開きは認められず、幕府は禰寝氏などに持久追討の指令を下した。享徳2年(1453年)、事態を憂慮した忠国は持久から都之城を没収し、三俣院高城に閉居を命じた。高城は和田氏の居城であり持久の室は和田氏の出身である。持久は和田氏の食客のような身分で高城で謹慎した。

寛正6年(1465年)、閉居を許された持久は荘内古江村の薩摩迫に移り、応仁2年(1468年)に安永城を築き居城とした。持久の在命中は北郷氏の本拠地である都城に復帰することはかなわず、文明8年(1476年)、子の6代当主敏久の代になってようやく旧領都城を回復することができた。

参考文献

  • 『都城市史』
  • 『高城町史』
  • 瀬戸山計佐儀『都城島津家歴代史 全』三州文化社、1992年
  • 『都城盆地 史跡ガイドブック ①旧都城市編』南九州文化研究会、2014年
丸に十字紋北郷氏第5代当主島津十文字紋
宗家

忠久????-1227 | 忠時1227-1265 | 久経1265-1284 | 忠宗1284-1318 | 貞久1318-1363 | 総州家と奥州家に分裂

総州家

師久1363-1376 | 伊久1376-1404 | 守久1404-???? | 久世????-1417 | 久林1417-1430 | 断絶

奥州家

氏久1363-1387 | 元久1387-1411 | 久豊1411-1425 | 忠国1425-1470 | 立久1470-1474 | 忠昌1474-1508 | 忠治1508-1515 | 忠隆1515-1519 | 勝久1519-1526 | 貴久1526-1566 | 義久1566-1587 | 義弘1587-1602 | 家久1602-1638 | 光久1638-1687 | 綱貴1687-1704 | 吉貴1704-1721 | 継豊1721-1746 | 宗信1746-1749 | 重年1749-1755 | 重豪1755-1787 | 斉宣1787-1809 | 斉興1809-1851 | 斉彬1851-1858 | 忠義1858-1897 | 忠重1897-1968 | 忠秀1968-1996 | 修久1996-現在

分家・支流

越前家
播磨家
  • 忠行
  • 行景
  • 忠政
  • 忠幹
  • 忠藤
  • 忠兼
  • 忠親
  • 範忠
  • 忠儙
  • 忠秀
  • 忠光
  • 忠勝
  • 忠持
  • 忠長
  • 忠之
  • 義弘
  • 政之
  • 義綱
  • 忠長
  • 良久
  • 忠義…義清
  • 義重
  • 忠正
  • 信夫
  • 昌之
伊作家

久長1281-1317 | 宗久1317-1354 | 親忠1354-1371 | 久義1371-1422 | 勝久1422-1433 | 教久1433-1442 | 犬安丸1442-1458 | 久逸1458-???? | 善久????-1494 | 忠良1494-1526 | 相州家相続

薩州家

用久????-1459 | 国久1459-1498 | 成久1498-???? | 忠興????-1525 | 実久1525-1553 | 義虎1553-1585 | 忠辰1585-1595 | 断絶

相州家
垂水家
豊州家
玉里家

久光1871-1887 | 忠済1888-1915 | 忠承1915-1990 | 忠広1990-現在

加治木家
佐土原家

忠興1610-1637 | 久雄1637-1663 | 忠高1663-1676 | 久寿1676-1690 | 惟久1690-1723 | 忠雅1723-1753 | 久柄1753-1785 | 忠持1785-1816 | 忠徹1816-1839 | 忠寛1839-1896 | 忠亮1896-1909 | 忠麿1909-1926 | 久範1926-1944 | 忠韶1944-1973 | 忠範1973-現在

重富家
和泉家→
今和泉家
宮之城家
永吉家
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