田 悼子(でん とうし、? - 紀元前405年)は、春秋戦国時代の斉の政治家で、田氏の宗主。姓は嬀、氏は田、あるいは陳、諡は悼。諱は知られていない。
紀元前411年に田白(田荘子)が死去すると、翌年に田悼子が後を嗣いで田氏の宗主となり、斉の宰相となった。紀元前405年、田悼子は死去し、田白の子の田和が後を嗣いだ[1]。
脚注
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- ^ 『史記索隠』所引『竹書紀年』による。『史記』田敬仲完世家には田悼子の記述は存在せず、田荘子が死去すると子の太公和が立ったことになっている。
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- 太公前386-前385
- 田剡前384-前375
- 桓公前374-前357
- 威王前350-前320
- 宣王前319-前301
- 湣王前300-前284
- 襄王前283-前265
- 田建前264-前221
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- 田儋前209-前208
- 田假前208
- 田巿前208~206
- (田都・田巿・田安の三王に分割される)前206
- 田栄前206-前205
- 田假(復位)前205
- 田広前205-前203
- 田横前203-前202
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Category:斉の君主 |